◆史跡案内◆京都

 藤原氏の“聖地”のひとつ、東三条殿

東三条殿址碑

 ごくふつうの住宅街のなかにひっそりとあります。
 注意していないと見逃しそう。

 下のほうが陥没して黒ずんでいるのもちょいせつない。

東三条殿

 現地の説明板です……が、ちょっと説明があやしい。

 第2段落冒頭の「はじめ醍醐天皇皇子重明親王の邸であったが、
 平安時代初期に藤原良房が譲り受けた後は……」とあります。

 んん? 良房のほうが、重明より前の時代の人だよね……?

 藤原良房は、人臣最初の摂政として名高い、平安初期の人物です。
 この良房が、東三条殿を建てたと伝わるのです。
 重明親王は藤原忠平(良房の孫の代)の婿であったため伝領し、
 さらに忠平の孫・兼家にわたった、というのが本当のところ。

 兼家のむすめの超子がのちの三条天皇を、超子の妹にあたる詮子がのちの一条天皇を、
 それぞれこの邸で出産しています(詮子は道長を庇護した姉としても有名)。
 のちに詮子が邸を所有することになりますが、出家した彼女は初の女院となり、
 「東三条院」と呼ばれる
ようになります。

 道長に譲られたこの邸は、のちには神聖視されるようになっていき、
 生活の場というよりは儀式の場となっていきます。
 藤原氏の氏長者の所有とされるようにもなります。


 NHK大河ドラマ『平清盛』で、藤原忠通が在宅中に襲われた藤原氏名シーン?
 (名付けて「さらば朱器台盤」)の舞台もココです!

 父親の忠実が忠通から氏長者と東三条殿をうばい、忠通の異母弟・頼長
 それらを与えたというわけです。

 ※「朱器台盤」は藤原氏長者に伝わる什器。これもこのとき強奪されたので




 現在地:京都府京都市中京区押小路通釜座上松屋町


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