◆小倉百人一首 歌・解釈・歌人・書道作品◆第1回
  1~5番(天智天皇・持統天皇・柿本人麿・山部赤人・猿丸大夫)

  * * *
 藤原定家が小倉山荘で撰んだという「小倉百人一首」。

 かるたとして、歌の基本学習として、かな書道入門として、
 さまざまに親しまれています。

 飛鳥時代の天智天皇からはじまり鎌倉時代の順徳院まで、
 「百人一首」がほぼ時代順に並びます。

 天智天皇から5首ずつ、全20回で歌・解釈・歌人について、
 を書道作品入りでまとめました。
  (一番下にある各首の冒頭の番号をクリックしてください。
   リンク先は 姉ブログ「くじょう みやび日録」)
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 ◆第1回:1~5番

 冒頭は天皇からはじまって、あまり身分は高くないけど高名な歌人、
 さらには伝説の(存在したかわからない)歌人まで。
 さすが万葉の時代、バラエティー豊かな顔ぶれです。

 さて、このふたりの天皇、実は

天智(天智と天武)父(天智天皇)

持統(天智と天武)娘(持統天皇)

  画・中村真理子『天智と天武』4巻(小学館、2014)より


 顔そっくりに描かれてます(笑)

 のちに持統天皇となる娘・鸕野讃良(うののさらら)皇女は、
 父の弟・大海人皇子(のちの天武天皇)に嫁ぎます。
 なんと、同母姉の大田皇女とのセットで!(この姉は早世してしまう)

 この姉娘がもっと長く生きていれば、妹娘は皇后になれたか……
 ということは天皇となったか……わかりません。

 妹は草壁皇子を生み、結果的にその血筋を引く者が天皇となりましたが、
 姉も大津皇子を生んでいるので、もしかすると大津が天皇になったかも。
 草壁のほうが年上ですが、その差は1歳にすぎません。

 現実には、天武の死後、謀反の意ありとして大津は自害に追い込まれました。
 これはおそらく、わが子草壁の立場を守りたい鸕野讃良の意向であったろうと……
 推測されています。

 父の天智天皇も政敵(やその可能性のある人物!)を次々と葬っていますし、
 父娘の峻厳さは似通っていて、顔そっくり設定も頷けます。



 1番 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ 
  天智天皇

 2番 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

  持統天皇

 3番 あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 
  柿本人麿

 4番 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

  山部赤人

 5番 奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きくときぞ 秋はかなしき 
  猿丸大夫



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