小野小町と僧正遍昭(遍照)のあいだには、贈答歌が存在します。

 * * *
  いその神といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、
  夜明けてまかり帰らむとて、とゞまりて、
  「この寺に遍昭侍り」と人の告げ侍ければ、
  物言ひ心見むとて、言ひ侍ける   小野小町

 1195 岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を 我に貸さなん

  かへし   遍昭

 1196 世をそむく 苔の衣は たゞ一重 貸さねば疎し いざ二人寝ん

   『後撰和歌集』巻17 雑3
 * * *

 『後撰和歌集』は『古今和歌集』の50年後くらいの編纂で(950年代)、
 この贈答歌が、『大和物語』の遍昭と小野小町のお話に発展したと考えられます。

 かんたん訳はこんな感じ。

   小野小町は、石上寺に詣でた帰り、もう日が暮れてしまったので、
   夜明けに帰ろうということになって一泊することに。
   この寺に遍昭がいることを告げる者があったので、小町はちょっと、
   リアクションをみてやろうと思い立って、言ってやった。

   <岩の上の旅寝はとても寒いわ。
    あなたの“苔のお衣”を、わたしに貸してくださいませな>

   返歌。

   <世を捨てた“苔の衣”はひとつきり。でも貸さなかったら薄情というもの。
    いっそふたりで寝ましょうか>


 『後撰集』では、たったこれだけの記事です。

 『大和物語』168段「良少将」(←遍昭のこと。彼の出家にまつわる物語)では、
 最後、返歌だけして遍昭は逃げ出してしまうのですが、
 この歌の余裕っぷりからすると似合わない結末で、個人的には大いに不満。
 (大和物語の遍昭は逃げてばかりいる!!)

 ついでに、大和物語では舞台が清水寺に変わっています。

   参考:大和物語の遍昭(4回シリーズ・現代語訳) くじょう みやび日録



 歌についてですが、「岩の上」とは「石上寺」を掛けての表現です。
 「苔」は「岩」の縁語であるところから……ですが、
 それだけではなく、遍昭がかつて深く慕った深草帝(仁明天皇)の喪明けに詠んだ、
 「苔の袂」と僧衣をたとえた有名な歌※を小町は踏まえていそう。

  ※みな人は 花の衣に なりぬなり 苔のたもとよ かはきだにせよ
   <みなさんは花の衣に脱ぎかえたとか。
    わたしの僧衣の“苔の袂”はかわかぬまま。
    せめて涙がかわいてほしいものです>


 また、苔の衣(僧衣)が一枚きりというのは、如来の薄い衣一枚をさしますが、
 『法華経』法師品(ほっしほん)には、法華経を信じこれを弘める人には、
 入滅した如来がその一枚きりの衣を掛けともに宿り、頭を撫でるとあるそうな。

 どうも小町と遍昭のあいだには、法華経に関するコンセンサスがあったようです。

 そうした知識を色好みのオブラートに包む……なんだか素敵です



 ■そして最大の関心事、小町と遍昭の関係とは?

小町と宗貞
杉田圭『超訳百人一首 うた恋い。2』メディアファクトリー、2011年

 この漫画では、小野小町=小野吉子で仁明天皇の更衣説を採用。
 宗貞とは幼なじみという設定で、「深草少将の百夜通い」伝説をからめたストーリー。


 遍昭の出家前の名前は、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)
 桓武天皇を祖父に持つ、由緒正しい貴族です。
 仁明天皇に仕え、嘉祥2年(849)蔵人頭になりましたが、
 天皇の崩御に際し出家しています(850年、35歳)。

 「僧正遍昭」などときくと悟りきったおじいさんを連想してしまいますが
 (そして百人一首「天つ風…」を知ると、「乙女の姿しばしとどめむ」とか
 言っちゃって俗っぽいじじいだなあ、というかえって悪印象まで)、
 宗貞時代はモテモテのプレイボーイで、大和物語では「色好み」!

 対する小野小町に関しては、実像はまったくわかっていません。
 仁明朝の更衣「小野吉子」とも、その妹の女官とも……
 いずれにせよ仁明朝に出仕していたことが想像され、
 宗貞とは知り合い(もしかしたら恋愛関係かも?)だったのでしょう。

 高貴なプレイボーイと謎めいた絶世の美女……
 夢のあるカップリングですよね

  関連記事:小野小町の夢の歌(1/2)


  [参考文献]
  大塚英子『コレクション日本歌人選003 小野小町』笠間書院 2011年
  片桐洋一校注『新日本古典文学大系 6 後撰和歌集』岩波書店 1990年




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