日本史の教科書に載っている「三蹟」(さんせき)、といえば
小野道風 (おののみちかぜ/とうふう)
藤原佐理 (ふじわらのすけまさ/さり)
藤原行成 (ふじわらのゆきなり/こうぜい)
の三人です。平安中期の和様の書を代表します。
同じく教科書記載の「三筆」(さんひつ)は、
平安初期の嵯峨天皇・空海・橘逸勢(たちばなのはやなり)をさします。
ところでこの三蹟ですが、三筆がほぼ同じ時代に活躍した※のに対し、
少しだけ活躍年代にずれがあります。
※空海774年生、嵯峨786年生、逸勢は不詳・その間くらい?
道風(894~966)→佐理(944~998)→行成(972~1027)と、
次々にバトンを渡していくようなイメージかな。
行成にいたっては、すでに生まれたときには道風は故人であったのです。
つまり行成の時代において道風は、すでに尊崇されるべき伝説の人というわけ。
『栄花物語』にも、道風の書が珍重されている様子がうかがえます。
裳着を迎えた禎子内親王への彰子の贈り物として、
(紀)貫之が手づから書きたる古今二十巻、
御子左(醍醐天皇皇子・兼明親王)の書きたまへる後撰二十巻、
道風が書きたる万葉集なんどを添へて奉らせたまへる、
世になくめでたき物なり。
故円融院より一条院に渡りけるものどもなるべし。
世にまたたぐひあるべき物どもならず。
と記されています。 [巻19「御裳ぎ」]
行成くんは当然のごとく道風さまに限りないあこがれを抱き、その書法を学びます。
道風が学びその生まれ変わりともいわれた、王羲之の書法も学びました。
二人の書法を学んだうえで、自らの素養と才を加えて書風を確立させたのです。
行成くんの道風マニアぶりは徹底したものでした。
彼の日記『権記』に、こんな記事があります。 [長保5年(1003)11月25日条、行成32歳]
此夜夢逢野道風、示云、可授書法、言談雑事、
三十路男・行成、夢に道風のこと見ちゃってます
道風から直接書法を教わったんだぜ(ただし夢の中で←)と主張しているのです!!
ああ、ほんと、好きなんだなあ……
と、ちょっと微笑ましいエピソードだと思います。
ところで、この「三蹟」が固定されたのは意外に遅く、江戸時代になってからだそう。
行成の子孫・世尊寺家第六代の藤原伊行(12世紀後半)による著『夜鶴庭訓抄』では、
空海・菅原道真・道風が「三聖」としてあげられています。
2013年「和様の書」展覧会図録 書影
表紙は行成の「白氏詩巻」(東京国立博物館蔵)!
[参考文献]
東京国立博物館ほか編『特別展 和様の書』2013年7月
山中裕ほか校注・訳『新編日本古典文学全集32 栄花物語②』小学館、1997年
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