嵯峨天皇1

 忝(かたじけな)くも文章を以て邦家に著はし

 将(まさ)に栄楽せんと煙霞に負(そむ)くことなかれ

 即ち今永く抱け幽貞の意

 無事にして終(つい)に須(すべから)く歳華を遣(や)るべし


 感謝の気持ちを忘れず文章で国家に名をあらわし、
 名誉や栄華を求めて山水の趣味を忘れてはならない。
 これからもずっと奥ゆかしい精神をたもちつづけ、
 何事もなく清らかな年月を過ごしなさい。


 下平声六麻の押韻(家・霞・華)。

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 この漢詩は、正史である『続日本後紀』の承和14年(847)10月26日条、
 ある内親王がなくなったときの記事にあるものです。

 ある内親王とは、この漢詩を贈られた人物――有智子(うちこ)内親王

 有智子内親王は、嵯峨天皇の娘として生まれました。
 弘仁14年(823)春、天皇の行幸があり、賀茂斎院で花の宴があったそうです。
 そのときに群臣に漢詩を詠むよう、天皇から求めがあったのです。
 当時は中国(唐)文化追随の時代、漢詩は大流行中。

 そこで17歳の若い女性ながら、見事な漢詩を披露した賀茂斎院の有智子へ、
 感心した父天皇から漢詩のメッセージが贈られたというわけ。

 女の子に漢詩……なんて、「漢詩は男の教養、女が漢詩なんて生意気だ」
 みたいな風潮のできてしまった平安中期あたりだと、ちょっと考えられません
 少数ではありますが、当時は有智子以外にも女性の漢詩人もみられました。

 しかし、有智子の詩風は群を抜いて気高く瑞々しいといわれるそうで、
 またそうした後代の風潮もあったことから、
 彼女は日本史上孤高の女流漢詩人となっています。

 
 
 古典作品「漢詩」紹介は、次回以降、しばらく有智子内親王をとりあげる予定です。



 [参考文献]
 森田悌『全現代語訳 続日本後紀(下)』講談社、2010年
 岩佐美代子『内親王ものがたり』岩波書店、2003年

 
 参考記事:有智子内親王、父へ贈る漢詩


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