同じ母娘関係を母・娘それぞれの視点から描いている対照的な二作品をご紹介。
「母娘」とは、嵯峨天皇の皇后・「檀林皇后」橘嘉智子(たちばなのかちこ)と、
二人の間の娘・正子内親王です。
【嘉智子・正子 系図】
天皇の脇の数字は代数
奈良麻呂という国家の大罪人(「橘奈良麻呂の変」757年)を出した橘氏の出身ながら、
皇后・国母という女性最高の地位にまでのぼりつめた嘉智子。
系図を見てみますと、正良も正子もその嘉智子を母とする正真正銘のきょうだいで、
明記はありませんが双子ともいわれます。
ところが、正良は即位(仁明天皇)、
正子は父の異母弟・淳和天皇の皇后とはなるものの、夫の死後、
正良の皇太子であった息子の恒貞親王は承和の変(842年)で廃太子となってしまいます。
即位するのは、正良の実子である道康親王(文徳天皇)です。
系図のとおり、道康の外戚は藤原北家です。
この恒貞親王廃太子の一件は、同時に大伴(伴)氏・橘氏をも排斥した
藤原北家による陰謀だったといわれています。
(嘉智子のいとこにあたる逸勢も罪を得て配流の途中死亡)
しかし、事件の発端は、阿保親王の太皇太后嘉智子への密告でした。
藤原北家と深い関係も持つ嘉智子が一枚噛んでいる可能性は大いにあります。
となると、嘉智子は娘よりも息子を選んだということでしょう。
上記の二冊は、この母娘の関係を意地悪く抉り出します。
まず、嘉智子を描いた『檀林皇后私譜』。
まあなんと正子はひどい娘!
正良はとっても従順ないい子なのに、正子は……
赤児の時分から癇が強く、歯が生えはじめるのを待ってでもいたかのように、
母や乳母の乳首を噛んだ。(…)叱れば叱るで泣きもせず、
睨み上げてくる白眼が我が子ながら嘉智子にはうとましい。 [下巻・143頁]
……織田信長か?(笑)
とまあ、ちょっとご都合主義的な感じもしないでもない、正子の描写。
当然のなりゆきで、嘉智子は正良に肩入れし、のめりこんでいきます。
さらに、正子を大伴親王(淳和天皇)に嫁がせた嘉智子に、従兄の逸勢は指摘します。
「あんたは狼を野に放ったよ。しかも皇后位などという爪牙までつけてな(…)
あの娘は皇后の権威を武器にして、母のあなたに逆襲するよ」 [下巻・199頁]
いっぽう、正子側から描かれた小説。
今度は逆に嘉智子、あり得ないくらいひどい女(笑)
承和の変が起こったのち、恒貞親王が配流などの罪を逃れたときのこと。
いきなり、「礼を言っていただかねばなりません」 ときた。
「帝が良房に頼んで下さったのですよ」
それでも正子は黙り続けていた。
「おや、淳和太后さまは御機嫌が悪いようね」
嘉智子は妙に引っかかる言いかたをした。
「国母になり損ねたので憤っているのね」
――何てことを。
叫びたかったがやはり黙っていた。嘉智子は誇らし気に言った。
「国母というのは、そう容易くなれるものではありませんわ(…)」 [107-108頁]
嘉智子の出自は橘氏で、有力な後ろ盾も当初はなかった。
徐々に藤原北家と結ぶようにはなったが、皇后の座を得るまでの屈辱は多かった。
内親王の身分を持ち、やすやすと皇后の座を得、
さらには国母にまでなろうという正子に対して、「異常なほどの競争心を燃やしていた」 [167頁]。
しかし、これらの小説における橘嘉智子という人はあまり魅力がありません。
嘉智子主人公のはずの杉本作品に特に顕著な気がします。
最初は美しいだけの自我のない女、
子をなしてようやく自我が芽生えたかと思えば、
かわいいかわいい正良中心主義でなりふり構わず、ものすごく醜いのです。
むしろ三枝作品の嘉智子のほうが、憎々しげだけどかわいげなくもない感じ。
苦労知らずの正子を私と同じ国母になどするものか、という一心は、
一女性・人間としてなかなか屈折して面白くもありますし。
ふだんは非力で善良なはずの女性に潜む“母の醜さ”を、杉本作品は描きたかったのか?
その醜い愛は、ひたすら息子にささげられてしまった、と。
杉本さんの江戸時代を舞台にした短編集『永代橋崩落』に、
やはり母の醜さをストレートに描いた一編があったように記憶しています。
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