◆小倉百人一首 歌・解釈・歌人・書道作品◆第2回
  6~10番(大伴家持・阿倍仲麻呂・喜撰・小野小町・蝉丸)

  * * *
 藤原定家が小倉山荘で撰んだという「小倉百人一首」。

 かるたとして、歌の基本学習として、かな書道入門として、
 さまざまに親しまれています。

 飛鳥時代の天智天皇からはじまり鎌倉時代の順徳院まで、
 「百人一首」がほぼ時代順に並びます。

 天智天皇から5首ずつ、全20回で歌・解釈・歌人について、
 を書道作品入りでまとめました。
  (一番下にある各首の冒頭の番号をクリックしてください。
   リンク先は 姉ブログ「くじょう みやび日録」)
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 ◆第2回:6~10番

 万葉集編者とされる家持、唐の地に骨を埋めた仲麻呂、
 六歌仙の喜撰法師・小野小町……と有名どころをさしおいて、
 今回は正体不明の伝説的歌人「蝉丸」をとりあげます。

 蝉丸は、いつの時代の人か生没年も不詳、
 雑色であったとも、はたまた皇子であったとも、いろいろな伝説をもちます。
 また、琵琶の名手であったともされ、源博雅をからめた説話もあります。


 こうした数々の伝承から謡曲「蝉丸」が生まれます。

 蝉丸は延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子でしたが、盲目を忌まれて
 長じてのち逢坂山に捨てられます。
 いっぽう、すぐ上の姉宮「逆髪」は、生まれつきどうしても逆立ってしまう
 髪を苦にして狂ってしまい、宮中を出てさまよっていました。
 そしてめぐりあう姉と弟。
 二人はおのれの身の不幸を嘆き、慰め合います。
 「鳥も音も鳴く逢坂の、せきあへぬ御涙、互ひに袖やしをるらん。」
 「引かれてここによるべの水の、浅からざりし、契りかな。」
 …………


 この能を題材にした短編をかつて読んだ記憶がありました。
 ずっと澁澤龍彦あたりかと勝手に思い込んでいたのですが、
 以前確認したところ、心当たりの手元の短編集にはなかった。

 このたび、ようやく思い出しました!



 冒頭の一編が「逆髪」。まさにこの姉弟を描いた作品。
 しかし不幸を「慰め合う」というような生やさしい関係ではありません。
 二人しかいない世界での、出口の見えない息詰まるやりとり……
 極度の緊張感と強烈なインパクトです!

 [参考文献]小山弘志・佐藤健一郎校注・訳『新編日本古典文学全集59 謡曲集②』小学館、1998年



  6番 かささぎの わたせる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞふけにける
   中納言家持

  7番 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
   安倍仲麿

  8番 わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と ひとはいふなり
   喜撰法師

  9番 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
   小野小町

 10番 これやこの 行くも帰るも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関
   蝉丸



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