◆史跡案内◆京都

 藤原氏の聖地のひとつ、今回は土御門第跡

土御門第

 木製の案内板なので、劣化が激しく、写真写りが悪いです。

 見づらい元の文章は以下の通り。

  平安時代中期に摂政・太政大臣となった藤原道長の邸宅跡で、
  拡充され南北二町に及び、上東門第、京極第などとも呼ばれました。
  道長の長女彰子が一条天皇のお后となり、里内裏である当邸で、
  後の後一条天皇や後朱雀天皇になる皇子達も、誕生しました。
  「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
  の歌は、この邸で催された宴席で詠まれたといいます。


 土御門(つちみかど)は上東門に同じです。
 邸宅は平安中期に藤原朝忠が建て、娘の穆子が源雅信と婚姻したため、
 二人の娘の倫子(道長室)に伝えられました。
 一説には、雅信の弟重信の所有であったともいいます。

 道長の長女・彰子は一条天皇の中宮で、
 敦成(あつひら)・敦良(あつなが)親王をこの邸で出産しました。
 敦成出生の様子は、『紫式部日記』寛弘5年(1008)の記事に詳しい。

 万寿3年(1026)に彰子が出家した際、
 院号はこの邸にちなんで「上東門院」とされました。




 




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