◆本紹介◆平安時代、永井路子

 歴史小説家・永井路子さんの<平安朝三部作>をご紹介します。

 この3作品は連作ではない別個の小説ですが、
 結果的に「平安朝」の政争を時代を追って描いたという意味では、
 連続した作品と言えるかもしれません。

 3作品の書誌詳細についてはこちら三部作(前編)  くじょう みやび日録

 成立順ではなく、描かれた時代順にみていきます。


 ■ 1 : 王 朝 序 曲

 真の意味での平安朝は、
 桓武天皇の平安遷都からではなく、
 嵯峨天皇の藤原冬嗣から始まる
 ――永井路子
 


 



 主役は藤原北家・内麻呂の子であった冬嗣
 彼は、桓武天皇の皇子とはいえ当時“捨て皇子”だった、
 賀美能(のちの嵯峨天皇)に仕えることを選びます。

 予想外の運命の変転により、怨霊に心をおかされた兄の安殿(平城天皇)が譲位、
 弟の賀美能に天皇の座がめぐってきます。

 ところが、兄弟の対立から、「二所朝廷」の状態に……。
 そんな中迎えるクライマックスは、冬嗣が蔵人頭の設置を閃くシーンです。


  ――いいのか、冬嗣。

  どこかでそんな声がする。

  ――いいも悪いもない。そうするよりほかないじゃないか。 [文庫版下巻・185頁]


 蔵人・蔵人頭の設置は、律令からの逸脱。
 律令の枠にとらわれず臣下が変幻自在に機密に関与していく、
 新しい王朝政治のスタート
ともなっていきます。


 また、帝王・嵯峨天皇の位置づけがおもしろい。


  「父帝(注:桓武天皇)のように、意欲をもって政に当ることなど、夢にも考えておられません」
   [文庫版下巻・107頁]


 従来からすればまるで帝王の資質のない嵯峨を引っ張っていくことになる冬嗣。
 平穏主義者であった嵯峨によって「巨人の世紀」は終わりを告げ、
 ここに権威と権力の分離がみられた
――というわけです。


 ■ 2 : こ の 世 を ば

 栄華を極めた横暴な権力者と見られている
 藤原道長の素顔
」 
――永井路子







 一家三后を成し遂げた絶頂の道長が詠んだ有名な歌
 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(か)けたることも なしと思へば」
 から採られているタイトル。
 まさに傲慢な権力者の印象の道長ですが、
 永井さんの描く道長は、“人間味溢れる平凡児”という設定です。

 おっとりした三男坊へ、兄の相次ぐ病死により突如降ってきた権力の座。
 それも、姉である一条天皇母后・詮子の力添えあってこそ。

  幸運というものが、分不相応な重荷であることを知って、
  それをせいいっぱい支え、あえぎ続けてきたようなところがある。 [文庫版下巻・359頁]

 と、永井さんは分析しています。
 そんな従来のイメージを裏切る道長を通して、最盛期の「王朝カンパニー」の姿が描かれます。
 そこでは、呪詛や怨霊、恋もまた政争の具となり、
 なごやかな表面とは裏腹な水面下での激しい争いが繰り広げられます。


 ■ 3 : 望 み し は 何 ぞ

 屈折の思いを持つ能信に視点をあてて、
 院政に傾斜する時代を
 ――永井路子
 



 激しい摂関家内部の争いの中、不遇をかこつ主人公・藤原能信(よしのぶ)。
 道長の二人の妻、源倫子の子は頼通や彰子はじめみな「光」、
 もうひとり源明子の子らは出世も遅く、「影」のような存在でした。

 能信は、明子の子(高松系)です。
 2で主人公として描かれた道長と妻・源倫子が、「影」からの逆転した
 視点で描かれているのが興味深いです。ぜひ読み比べを!

 たとえば、2で描かれた「一家三后」という究極の栄華の場面は、
 このように変わってきます。

  ――もし、三后の中に妹が入っていたら、俺の気持はまったく違っていたろうな。

  (…)能信はいま、ひとり扉を隔てた別世界にいて月を見上げている。

  ――そうか十六夜か。望(もち)どころか、もう虧(か)けはじめているじゃないか。
   [文庫版・125頁]

 そう、「三后」の娘とは、すべて明子ではなく倫子の産んだ娘たちなのです。
 その中で、能信は「何を望み」つつ政界を生きたのか。
 そして、彼が心中呟いたように、月は虧けはじめ、
 摂関の時代は終わりを告げ、院政の時代となろうとしているのです……。



゚・:,。゚・:,。★ ↓↓↓ 古代史推進のために! クリックしていただけるととても嬉しいです゚・:,。゚・:,。☆
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

日本史 ブログランキングへ