寂々たる幽壮山樹の裏
仙輿ひとたび降る一池塘
林に栖(す)む孤鳥春沢を識り
澗(たに)に隠るる寒花日光を見る
泉声近く報じて初雷響き
山色高く晴れて暮雨行く
此より更に知る恩顧の渥(あつ)きを
生涯何を以てか穹蒼に答へん
私がひっそりと暮らす木々に囲まれた山荘の
池の堤へ、天皇の輿が思いがけずもお降りになりました。
林に栖む孤独な鳥が春の恵みを知り
谷間に隠れ咲く冬の花が日の光を見るように、
私にとってもこのうえない光栄になりました。
泉の流れが耳近く春雷のような響きを立て、
緑の山頂は高く晴れその麓を夕暮れの雨が降り過ぎる、
この光景のもと、今日、天皇のお出ましをいただき、
今更のようにそのご恩のあつさに感謝します。
ああ、いったい私はどのようにして、
この大空にも似た厚恩にお応えしたらよいのでしょう!
下平声七陽の押韻(塘、光、行、蒼)。
第一句踏み落とし。
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前回、「嵯峨天皇、娘へ贈る漢詩」では、
嵯峨天皇が娘であるこの有智子(うちこ)内親王に贈った漢詩を読みました。
今回は、天皇が娘へ漢詩を贈る直接のきっかけとなった漢詩です。
前回と重複しますが、弘仁14年(823)春、
天皇の行幸のもと、賀茂斎院で花の宴があったそうです。
そのときに群臣に漢詩を詠むよう、嵯峨天皇から求めがあったのです。
このころ中国(唐)文化追随時代の只中、漢詩は大流行中でした!
そのとき並みいる群臣のなか、
弱冠17歳のうら若き賀茂斎院・有智子内親王が詠み、
父天皇をうならせたのが上の漢詩だったのです。
これにより彼女は天皇から漢詩を贈られるとともに、
すぐさま三品の位を授けられました。
次回(今週末予定)「漢詩」は特別篇として、
この有智子内親王のお墓ご案内と、その生涯について
を記してみたいと思います。(下のリンク記事です)
2015.2.14記事 有智子内親王のこと
[参考文献]
森田悌『全現代語訳 続日本後紀(下)』講談社、2010年
岩佐美代子『内親王ものがたり』岩波書店、2003年
『日本女流文学史』同文書院、1969年
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