◆イベント記録◆2015年 東京・三重テラス
三重の“宝”魅力発信講座vol.3 “祈りの宝”(全3回のうち第2回)
東京・三越前駅直結の「三重テラス」では、三重県に関する数々のイベントが行われ、
また特産の物販やレストランも賑わっているそうです。
今回、伊勢の斎宮・斎王についての講座が、なんと無料で開催されるとのことで、
さっそく参加してまいりました。
全3回のうち、今週水曜日(2月18日)の第2回しか都合がつかず、残念でした。
現段階(2015年2月20日)で来週の水曜日(25日)の第3回が残っており、
参加人数に余裕があれば、2日前の月曜日まで参加を受け付けているそうです。
詳細は「三重テラス」で検索してください。
第2回のテーマは、「祈る斎王~日常と三節祭」。
斎宮歴史博物館学芸普及課長の榎村寛之さんが講師でした。
講座のレポートに入る前に、前提から。
伊勢神宮の「斎王」は、同神宮に仕える未婚の内親王または女王です。
伊勢の斎王よりのちに、京都の賀茂神社に仕える斎王の制度がつくられ、
そちらを「斎院」と称したのに対し、伊勢は「斎宮」とも呼ばれます。
ただし、このページでは、「斎王」と表記していきます。
制度や場所をあらわすときに、「斎宮」を使います。
では、講座内容について、ごく簡単にご紹介します!
斎王のお仕事は、「天皇に代わり、伊勢神宮に仕えること」。
天皇一代に一人が原則で、「その天皇」が神宮に参拝できない代わりに奉仕する、
という考えだったのではないかと推測されています。
(初代有智子内親王を扱った記事でみた斎院は、天皇一代ごとではありません)
天皇が神宮(単独で「神宮」という場合、伊勢神宮をあらわします)に参拝したのは、
明確に記される限り、なんと明治天皇が初であったのだそうです!
(平安初期の桓武・平城天皇は参拝経験がありますが、いずれも皇太子時代)
天皇と神宮の立場……むずかしいバランスだったではとのこと。
もし参拝したくとも天皇は、むしろ臣下に止められたのだそうです。
斎王は、参拝できない天皇の代わりにその分身として赴き、国家平安を祈る。
むかしの祭祀は「まつりごと」――つまり「政治」と同じですから、
斎王は非常に重要な政治家であり社会的ミッションを背負っていたわけです。
講座では、そんな斎王がかかわる「三節祭」のお話と、
斎王の日常についてのお話がされました。
ただ、時間が少なくてちょっと物足りなかったなぁ……
ていうか、もっと聞きたかったです! 最後、先生も時間を気にされて駆け足に
なってしまった感じだし(ただ椅子は固かったので肉体的には限界だった←)。
「三節祭」とは、斎王が参加する伊勢神宮の祭、つまり9月の神嘗(かんなめ)祭と
6・12月の月次(つきなみ)祭のことをさしていいます。
斎王は基本的に巫女などと異なり、神の「託宣」をきく存在ではありません。
天皇の代理として参加して拝礼することに意義があるのです。
そして「日常」的には神に仕える存在なのです。
「神と face to face で向き合う“外交官”」と表現されていました!
だからこそ、もしかしたら、天照大御神は女神ですから、斎王は男性ではなく
女性である内親王・女王だったのかも……?
さらに……
斎宮はおそらく巨大なオフィス街のような状態であったこと、
斎王の健康管理は厳重になされていてとにかく清浄が保たれていたこと
(健康管理といっても亀卜による占いや漢方薬である)、
食べ物にはとくに規制がなかったこと(鶏肉OKだった可能性も?)、
ただし仏教に関することを中心に「忌詞」(いみことば)は厳格であったこと……
などなど、また、歌や琴といった都の姫君に劣らない斎王自身の教養の深さなど、
興味深いお話がたくさんありました。
無料はありがたい! でも無料でなくていいから、もっと長い時間、
あともうちょっといい椅子で、もっとゆっくり聴きたかったかな~
というのが、正直な感想かもしれません!!
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三重の“宝”魅力発信講座vol.3 “祈りの宝”(全3回のうち第2回)
東京・三越前駅直結の「三重テラス」では、三重県に関する数々のイベントが行われ、
また特産の物販やレストランも賑わっているそうです。
今回、伊勢の斎宮・斎王についての講座が、なんと無料で開催されるとのことで、
さっそく参加してまいりました。
全3回のうち、今週水曜日(2月18日)の第2回しか都合がつかず、残念でした。
現段階(2015年2月20日)で来週の水曜日(25日)の第3回が残っており、
参加人数に余裕があれば、2日前の月曜日まで参加を受け付けているそうです。
詳細は「三重テラス」で検索してください。
第2回のテーマは、「祈る斎王~日常と三節祭」。
斎宮歴史博物館学芸普及課長の榎村寛之さんが講師でした。
講座のレポートに入る前に、前提から。
伊勢神宮の「斎王」は、同神宮に仕える未婚の内親王または女王です。
伊勢の斎王よりのちに、京都の賀茂神社に仕える斎王の制度がつくられ、
そちらを「斎院」と称したのに対し、伊勢は「斎宮」とも呼ばれます。
ただし、このページでは、「斎王」と表記していきます。
制度や場所をあらわすときに、「斎宮」を使います。
では、講座内容について、ごく簡単にご紹介します!
斎王のお仕事は、「天皇に代わり、伊勢神宮に仕えること」。
天皇一代に一人が原則で、「その天皇」が神宮に参拝できない代わりに奉仕する、
という考えだったのではないかと推測されています。
(初代有智子内親王を扱った記事でみた斎院は、天皇一代ごとではありません)
天皇が神宮(単独で「神宮」という場合、伊勢神宮をあらわします)に参拝したのは、
明確に記される限り、なんと明治天皇が初であったのだそうです!
(平安初期の桓武・平城天皇は参拝経験がありますが、いずれも皇太子時代)
天皇と神宮の立場……むずかしいバランスだったではとのこと。
もし参拝したくとも天皇は、むしろ臣下に止められたのだそうです。
斎王は、参拝できない天皇の代わりにその分身として赴き、国家平安を祈る。
むかしの祭祀は「まつりごと」――つまり「政治」と同じですから、
斎王は非常に重要な政治家であり社会的ミッションを背負っていたわけです。
講座では、そんな斎王がかかわる「三節祭」のお話と、
斎王の日常についてのお話がされました。
ただ、時間が少なくてちょっと物足りなかったなぁ……
ていうか、もっと聞きたかったです! 最後、先生も時間を気にされて駆け足に
なってしまった感じだし(ただ椅子は固かったので肉体的には限界だった←)。
「三節祭」とは、斎王が参加する伊勢神宮の祭、つまり9月の神嘗(かんなめ)祭と
6・12月の月次(つきなみ)祭のことをさしていいます。
斎王は基本的に巫女などと異なり、神の「託宣」をきく存在ではありません。
天皇の代理として参加して拝礼することに意義があるのです。
そして「日常」的には神に仕える存在なのです。
「神と face to face で向き合う“外交官”」と表現されていました!
だからこそ、もしかしたら、天照大御神は女神ですから、斎王は男性ではなく
女性である内親王・女王だったのかも……?
さらに……
斎宮はおそらく巨大なオフィス街のような状態であったこと、
斎王の健康管理は厳重になされていてとにかく清浄が保たれていたこと
(健康管理といっても亀卜による占いや漢方薬である)、
食べ物にはとくに規制がなかったこと(鶏肉OKだった可能性も?)、
ただし仏教に関することを中心に「忌詞」(いみことば)は厳格であったこと……
などなど、また、歌や琴といった都の姫君に劣らない斎王自身の教養の深さなど、
興味深いお話がたくさんありました。
無料はありがたい! でも無料でなくていいから、もっと長い時間、
あともうちょっといい椅子で、もっとゆっくり聴きたかったかな~
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