ほぼ毎日ちょっとずつ更新【日微通信】
 
 壱◆News・雑感編◆

  2015/04/16
 淳和天皇即位

 弘仁14年(823)4月16日、嵯峨天皇譲位により、大伴親王即位。
 淳和天皇の誕生です。(新暦では5月29日)

 淳和って、異母兄の平城天皇や嵯峨天皇に比べ、影が薄くありませんか?

 平城天皇(太上天皇)はいわゆる「薬子の変」を起こしましたし、
 嵯峨天皇は弘仁文化を花開かせ、その子孫が皇統を受け継ぎました。

 それに比べて淳和は……2人とちがい母も皇后(藤原乙牟漏)ではありませんし、
 嵯峨の子・仁明天皇への中継ぎをした傍系天皇といったイメージです。

 ちなみに江戸時代に後西天皇という人がいまして、兄(後光明)から位を継ぎ
 甥(霊元、実際は弟だが後光明の養嗣子)へ譲った傍系の天皇です。
 この人の「西」は淳和天皇が「西院帝」と呼ばれたことに因んでいます。


 
 ところが実は、淳和らの父・桓武天皇は、もしかすると末の淳和の流れを正統にと
 考えていた可能性があります。
 というのも、3人の兄弟にはそれぞれ異母姉妹(桓武の娘)が娶されたのですが、
 その中でもっともすぐれた血筋の男子を残したのが淳和であったからです。
 皇后乙牟漏の娘(=平城・嵯峨と同母)の高志内親王が、恒世親王を生んだのです。
 淳和自身は桓武天皇にとって恩人ともいえる藤原百川の娘・旅子を母としています。
 まさに桓武にとって、このうえないサラブレッド!

 恒世は惜しくも早世してしまいますが、生きながらえていたらどうだったでしょうか。
 淳和が正統の天皇となった可能性は十分にあったのです。



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