◆史跡案内◆京都

 前編の天智天皇陵を後にして、さらに東へ、山科駅方面へと進みます。
 駅から陵までと同じくらい歩くと京都薬科大学があり、その脇をずんずん通り過ぎます。

 山階1

 「五条別れ」交差点近くの石材屋さんに、山階寺(やましなでら)跡碑があります!

 ここまで、天皇陵も寺跡も、御陵駅から山科駅へ向かって進む左側です。
 
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 説明板のアップ。

 奈良の大寺院・興福寺(藤原氏の氏寺)の前身とされる山階寺は、
 同寺縁起によると、天智天皇8年(669)藤原鎌足の死去に際し、
 妻の鏡女王が夫の念持仏などを祀る伽藍を設けたのがはじまりとのことです。


 鎌足さんといえば、天智天皇(中大兄皇子)にとっては永遠のパートナー

 ここ山科の地は、古北陸道(山背古道)が貫通するため早くから開発されていました。
 山階寺の地は鎌足さんの住んでいた「陶原館」があったといわれます。

 そして天智天皇が遷都した近江大津は、山科のすぐ東側、山背道が向かっていく地です。


 前編で紹介したほど近くにある天智天皇陵は、古い時代の天皇陵としては珍しく、
 確実に天智本人が被葬者であるといえる古墳なのだそうです。
 その天智天皇陵が、この地にあるのも自然なことだったと思えます。


 『続日本紀』の文武天皇3年(699)10月の記事に、山科陵修造のことが載っています。
 とはいえ、このときに初めて山科陵が営まれたとは考えづらく(『万葉集』額田女王の歌に
 詠まれているなど)、改修やもしくは奉幣のようなことでしょうか。


 奈良時代を経て光仁天皇から皇統が天智天皇系に再び移ったこと、
 そして平安京遷都以後は都からもほど近かったことから(実際に訪れると実感します)、
 天智天皇山科陵への使派遣や奉幣などは今後の歴史を通じて多くあったそうです。





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