唐猫

 うちの子、清少納言が『枕草子』で「こんな子がいい!」と言ってたのと同じ柄。

 猫は 上のかぎりくろくて、腹いとしろき。

   猫は上(背中)が全部黒くて、お腹が白い子がいいわ。 

 宮中に上がっていた清少納言がいいというほどの猫ですから、
 当時上流階級で流行の舶来猫唐猫には、こんな柄の子もいたのでしょうか。

 
 古典や史料にみえる、猫たちの姿を見てみたいと思います。


 ■宇多天皇

 猫好きで有名なのがこの人。(867-931、在位887-897)
 日記『寛平御記』に、父親の光孝天皇から授けられた猫について記しています。
  (寛平2年<890>2月6日記事、原文と意訳交じり)

   今日は暇だから、私の猫について述べてみよう。この黒猫は、大宰少弐
   源精が任を終えて朝廷に戻ったとき、先帝(光孝)に献上したものだ。

 当時大宰府では博多鴻臚館との交易を管理していましたから、
 この子は唐からの舶来猫かもしれません。
 続いて、猫の描写を原文にて。

  愛其毛色之不類。餘猫猫皆浅黒色也。此独深黒如墨。

 ほかの子は浅黒いけど、この子は真っ黒。冒頭の原文にも「驪猫」と表現されていて、
 「驪」という漢字は「純黒色の馬」を示していますから、深い墨の色とほぼ同義ですね。
 さらに猫の描写が延々と続きます。
 瞳はきらきらとして耳はピンと立ち、体はよく伸び縮みし、音もなく歩く、
 ほかの猫よりすばしっこくてよく鼠を捕まえる、とか(こりゃもうのろけ?)。

  恰如雲上黒龍。 あたかも雲の上を行く黒き龍である。

    先帝が数日可愛がった後にくれたこの猫を、毎朝乳粥を与えて可愛がっている。

 
とまぁここまで絶賛しておきながら、

    それはこの子が特別優れているから可愛がるのではなく、
    先帝がくださったからどんな小さいものといえど大事にしているのである!

 と、なぜか突然の釈明(?)。←後世「ツンデレ」と評されてしまうゆえん
 しかし最後は、猫に「お前はわたしのことがわかっているよね」(心有必寧知我乎)と
 話しかけており、猫は首をもたげて宇多天皇をじっと見つめている。


 舶来の(?)猫が天皇に献上されるような貴重な存在であったこと、
 そして天皇もメロメロになるほど可愛がられていたことがわかりますね


 ■花山天皇

 清少納言の時代ともほぼ重なる人物です。(968-1008、在位984-986)
 彼女の仕えた中宮定子の夫・一条天皇の、すぐ前の天皇です。

 花山院御製として、父冷泉天皇の皇后であった昌子内親王(朱雀天皇の一人娘、950-1000)
 に贈った歌が存在しています。(花山天皇の母は藤原懐子なので義理の母子である)

   敷島の 大和にはあらぬ 唐猫の 君がためにぞ もとめ出でたる
        (『夫木和歌抄』雑部)

 詞書によると、昌子から「猫やある」と義理の息子にリクエストがあったそうです。
 ちなみに昌子は、のちにあげる『源氏物語』の女三宮のモデルという説もあり、
 猫を可愛がる皇族女性の象徴的存在かもしれません。
 

 ■一条天皇

 清少納言が仕えた中宮定子の夫、一条天皇の猫溺愛ぶりは『枕草子』に記録されています。
 上述の宇多天皇と並ぶ「猫好き天皇」両横綱でしょうか。

 猫は天皇から五位を与えられて「命婦のおとど」と呼ばれており世話役の乳母もいて、
 その猫に吠えかけた犬「翁丸」を、帝はこらしめさせています。(「うへに候ふ御猫は」の段)
 五位、つまり殿上にあがれる位ということですね。

 藤原実資の日記『小右記』長保元年<999>9月19日条には、
 宮中で生まれた猫の産養(うぶやしない=お祝い)が行われて帝と藤原道長・女院詮子らが出席、
 さらに猫には乳母がついたと記されており、『枕草子』の記述も連想させます。

 もしかすると、昌子内親王がもらった猫が生んだ子なのかもしれませんね!



 ■『源氏物語』

 清少納言と並び平安女流文学の精美をきわめた紫式部による『源氏物語』に、
 猫の絡んだストーリーが展開します。

 有名な「若菜」巻で、光源氏が晩年に迎えた若妻・姪(兄朱雀院の娘)女三宮と
 青年貴族・柏木との不義密通のきっかけを生んだのが女三宮が可愛がっていた猫でした。

  唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひつづきて、
  にはかに御簾のつまより走り出づるに
(…)
  (唐)猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長くつきたりけるを、物にひきかけ
  まつはれにけるを、逃げんとひこじろふほどに、御簾のそばいとあらはにひき開けられ
(…)

 逃げる猫がつながれていた綱で(女三宮が端近にいた)御簾を引き開ける形になって
 しまったわけですね。それを、偶然柏木が目にして、一目ぼれしてしまった!

 綱につながれた猫、というのは『枕草子』「なまめかしきもの」の段に

  いとをかしげなる猫の、あかき首綱にしろき札つきて、村濃の綱ながう引きて

 という描写があります。
 

 ■『更級日記』

 そしてもっと面白いのが、『源氏物語』に憧れた元文学少女・菅原孝標女による回想日記。

 少女のころの彼女の家に、突如迷い込んできた一匹の猫
 彼女によれば、さる高貴な女性の生まれ変わりなんだとか。
 それも、先ごろ亡くなった、なんと藤原行成の娘だというのです!
 (正確には、作者の姉が夢に見たとのこと。以下は姉のせりふ)


   「夢にこの猫のかたはらに来て、おのれは侍従の大納言(=行成)殿の御むすめの、
  かくなりたるなり
(…)』」

 行成の娘は父譲りの能筆だったらしく、菅原孝標女も彼女の手蹟を手本にしていました。
 その若すぎる死を伝えきいての、文学少女らしい感傷といえるかもしれません……
 そんなお姫様を連想させるほどの猫ですから、やはり上品な、貴族たちに珍重されていた
 唐猫の系譜を引く子だったのでしょうか?

 しかし、猫はほどなくして火事にあい、呆気なく死んでしまいます。
 そのとき、衝撃の事実?が発覚します

    (猫を)「大納言殿の姫君」と呼びしかば、聞き知り顔になきて歩み来などせしかば、
   父なりし人
(=菅原孝標)も「めづらかにあはれなることなり。大納言に申さむ」
   などありしほどに
(…)


 夢見がちな娘たちだけならよいのですが、官人である大のオトナの菅原孝標までもが信じ、
 「大納言(=行成)に申しあげよう
などと言い出すのは、ちょっと傑作

 普通に考えると、転生は仏教的にはよくないことで、ましてや畜生(可愛いけど!)ですよ?


 * * *

 以上、古代史の史料や古典に見える猫たちの姿を追ってみました。
 唐猫のような舶来のペットたちは、当時の海外交易の場・博多から入ってきたと思われます。
 遣唐使が廃止されても「唐物」は大宰府の宋商人を通じて、貴族や朝廷へもたらされたのです。

 もちろん生き物のほかにも珍重された物品(香薬・香木・顔料・絹物・陶磁器・書籍・文房具
 などなど)もありましたし、ペットとしては猫のほかに孔雀や鸚鵡などが知られています。

 そうそう、大河ドラマ『平清盛』の藤原頼長が鸚鵡をそれはそれは大事にしていましたよね

 史実の頼長と鸚鵡の関係、また、彼自身が日記「台記」で回想している猫の思い出――
 頼長についても近いうち追加記事として載せたいと思います!

 ☆後日追記☆ 頼長と猫


 [参考文献]
 河添房江『光源氏が愛した王朝ブランド品』角川学芸出版、2008年
 古瀬奈津子『摂関政治』岩波書店、2011年
 [原文参照]
 『日本古典文学全集11 枕草子』小学館、1974年
 池田亀鑑校訂『枕草子』岩波書店、1962年
 『増補史料大成 第一巻 歴代宸記』臨川書店、1967年
 『日本古典文学全集 源氏物語(四)』小学館、1974年
 『新編 日本古典文学全集26』(更級日記他)小学館、1994年

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