◆史跡案内◆京都

 京都市内、烏丸御池駅からほど近い場所に、平安初期に活躍した
 在原業平(ありわらのなりひら、825~880)の邸址碑があります。

 業平は六歌仙のひとりに数えられる歌の名手であり、
 『伊勢物語』の「男」のモデルといわれる、恋多き情熱の美男子

 桓武天皇の第一皇子の平城天皇、そのまた第一皇子・阿保親王を父に、
 桓武天皇の皇女・伊都内親王を母にもつサラブレッド
 
 ただ、いわゆる「薬子の変」(810年)で、祖父の平城上皇は勢力を失い、
 その弟嵯峨天皇へ皇統は移り変わっていました。
 業平は誕生の翌年、父阿保親王の上表により、異母兄・行平らとともに
 在原氏を賜り臣籍降下しました。従四位上、右近衛権中将美濃権守。

 世に「在五中将」(在原の五男。ために五男であるとされる)などと称されました。

 国史である『三代実録』に、美麗で閑雅だが行動は放縦、才学もない。
 しかし和歌の名手、といった内容が記録されています。

   体貌閑麗、放縦不拘。略無才学、善作倭歌。(元慶4年<880>5月28日条)


 業平邸址

 業平の邸宅はこの場所、左京三条四坊三町内にあったといわれています。


 『京都時代MAP 平安京編』(2008年)掲載の「平安前期」の地図を
 ながめていて気付いたのですが、この本によると、業平邸のほど近くに、
 藤原高子の伝領している「小二条院」があるようです。

 左京三条四坊一町です。

 BlogPaint

 藤原高子は業平のロマンスの相手として有名な女性。
 上にあげた『伊勢物語』や『大和物語』の記述から、清和天皇へ入内する前の
 彼女と業平が恋愛関係にあったことが推察されています。
 高子は、当時の権力者・藤原良房の大事な手駒の姫でした。
 結局彼女は、清和天皇との間に、陽成天皇らを儲けることになったのですが……

 そうした経緯を考えるととても面白いです。


 ちなみに、上地図の赤で囲った部分が左京三条四坊ですが、
 ひとつの坊内の町の数え方は下図のようになっています。
 (三条なのに「小二条院」なのは二条大路に面しているからです)
町の数え方
 一町四方は各40丈(約120m)です。実際には町と町の間には道があるので
 もう少し距離が出ますが、一町の高子と三町の業平、近いですね。

 息子の陽成天皇が退位させられたあと、母子は左京二条二坊十三・十四町の
 陽成院に移ったことがわかっています。小二条院はどのように使用されたのでしょうね。


 そもそも上流貴族はせいぜい四条以北にひしめいていたわけですから、
 こうしたこともまぁ、あるのかな。。。

 [参考文献]
 新創社『京都時代MAP 平安京編』光村推古書院、2008年
 瀧浪貞子『集英社版日本の歴史5 平安建都』集英社、1991年
 小町谷照彦・倉田実編著『王朝文学文化歴史大事典』笠間書院、2011年





 業平邸址の碑は、地図上の「吉忠」ビルの前、間之町通り沿いです。
 御池通を烏丸御池駅方面から歩いてくると目に入ります。

 なお、小二条院との距離感はこんな(赤で囲った部分が小二条院とされるあたり)。

 業平邸地図2



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