壱◆News・雑感編◆

  2015/06/24
 壬申の乱 付・ヒストリア「持統天皇の都」感想

 今日は「壬申(じんしん)の乱」が勃発した日。
 と、私の手帳にメモってあったのですが、確認してみると、
 大海人皇子が吉野を脱出した日なのでした。

 672年6月24日です。
 この2日前6月22日、村国男依(おより)らを募兵のため先発させています。
 24日吉野を脱出した大海人は、翌朝高市皇子と合流しました。

 7月23日大津宮陥落、大海人皇子の兄・天智天皇の長子であった
 大友皇子は自害しました。

 * * *
 先日、NHKの歴史番組『歴史秘話ヒストリア』(第221回)で、
  「古代日本 愛のチカラ~よみがえる持統天皇の都~」
 がラインナップされております!
 とお知らせしたっきりになっていたので、簡単に感想を。


 漫画『天上の虹』を完成させた里中満智子さんの協力のもと、
 里中さんのイラストを多用し、声優の水樹奈々さんまで呼んで声をあてました。
 でも思ったより、それはどうでもよかったような

 NHKらしく、夫・天武(大海人)の遺志を忠実に継ぐ妻……という美しい図式でした。
 同母姉の大田皇女が一緒に結婚したこと、その遺児・大津皇子を実質殺してしまったこと、
 すべてなかったことのように華麗なるスルー……
 まっ、でもいいんです、そんなワイドショーみたいなところは

 なぜなら、「持統天皇の都」ですから、今回の主なテーマは藤原京なのです。

 天武天皇の時代から計画されていた藤原京の建設は、白村江の戦いの後、
 実は唐とは国交断絶時代のただなかでありました。
 実際、唐の長安をモデルに建設されたといわれていた藤原京ですが、
 長安ではなく、古い史料『周礼』を独自に研究したのであろうとのことでした。
 (内裏の位置が、長安のように北辺ではなく中央にある)

 長くなるので割愛しますが、藤原京の充実した仕組みなどにも触れられました。

 そのうえで、唐との国交を回復するべく、遣唐使を派遣します。
 大宝2年(702)文武天皇の時代ですが、持統太上天皇の力が大きかったはずです。
 唐で「容止温雅」と評された粟田真人が執節使となった使いですね。
 もう「倭国」ではない、国号「日本」だと、国際的に認めさせることになりました。


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