2015/07/01
 不破内親王

 先日の「天平三姉妹」についての補足コーナー☆
 三姉妹の経歴をひとりずつ、簡単にご紹介していきます。

 第三回は、三女・不破内親王。

 天平不破

 生没年不詳。
 聖武天皇皇女、母は県犬養広刀自。井上内親王・安積親王と同母。
 728年生まれの安積に近い生まれと思われ、姉たちとは開きがあるか。
 (井上は717年生まれ、異母姉の阿倍<孝謙・称徳天皇>は718年生まれ)

 天武天皇の孫・塩焼王(新田部親王の子)の室となる。
 不破と夫塩焼はトラブルの多い人生であった。



 塩焼王は天平14年(742)に一度伊豆国に配流になっており、
 その後復したものの大炊王のように皇太子にはなれなかった。
 橘奈良麻呂の乱(757年)では関与を疑われ、不問には付されたが
 翌年臣籍降下している(氷上真人塩焼)。
 最後は乱をおこした藤原仲麻呂に旗印にかつがれ、ともに殺された
 (恵美押勝の乱、764年)。


 一方妻の不破は、神護景雲3年(769)、県犬養姉女らとはかり、
 子の氷上志計志麻呂を皇位につけるため呪詛を行ったとして罰せられた
 (京外追放、「厨真人厨女」へ改名。このときの天皇は、もちろん称徳)。
 このときの詔から、それ以前にも内親王の身分を剥奪されたことがわかる。
 その後復籍したが、桓武天皇の時代の天応2年(782=延暦元年)、
 子の氷上川継の謀反に連坐して淡路国に流された。
 志計志麻呂と川継は兄弟と思われるが、同一人物とする説もある。
 その後の彼女の消息は不明。


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