美女の代表“小野小町は、六歌仙にも数えられる謎の歌人。

 『古今和歌集』に収められる彼女の初期の歌に、一連の「夢の歌があります。
 初期の歌というのは推測です。小町の時代の和歌では掛詞や縁語の技巧が
 流行りましたが、「夢の歌」には使われていません。


 小町の『古今集』の歌は18首、うち6首が「夢の歌」で、いずれも「恋歌」の部に収録。
 恋の部はおもしろいことに、おおむね恋が進行する順番に収録されているようです。

 今回は、まだ相手に想いの届いていない段階である、「恋歌二」から。
 冒頭に置かれた3首です。

   思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを (552)
   うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき (553)
   いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る (554)

 ――あの人のことを思いながら寝たので、逢っている夢をみたのだわ。
  夢だとわかっていたら目を醒まさずにいたでしょうに。

 ――昼のうたた寝のまどろみの中で、恋しい人に確かに逢ったわ。
  それからというもの、夢というものを頼みにするようになったのよ。

 ――どうしようもなくあの人が恋しい! そんな時は、夜の暗闇の中、
  ひとり衣を裏返して着るの。きっと夢の床に現れてくれるから……


 はじめの2首は、現代の私たちにも受け入れやすい歌だと思います。

 古典の授業で学生のころ習った古代人の考えでは、誰かのことを夢に見た場合、
 自分がその人のことを想っているからではなく、その人が自分のことを想って
 自分に夢で逢いに来た、という発想
だったかと思います。
 (現代人の感覚から言うと、若干「キモ!」って感じですが

 この歌をみると、小町はどうもそうではない。現代人に近い考えをしているようです。

 小町が片思いする恋しい人は、長い夜の夢、そしてほんの短い昼のうたた寝にまで
 彼女の心に侵食してきます。
 小町の受け取り方では、つまりそれだけ、自分の想いが深まってきている……
 2首目の「夢てふもの」=夢というもの、という突き放したような、客観的な表現が
 とても面白いです。千年以上昔の人なのに、とても現代女性に近いと思います。

 けれど、現実ではない夢でもいい、逢いたい……と頼みに思うすがる気持ち。
 これも、よくわかりますね。


 最後の歌はちょっとわかりづらいです。
 まず「夢」の語が出てきません。そして「衣をかへ」すとは……?

 万葉人は「かへす」という言葉に恋人を引き寄せる力を感じていたようで、
 「袖を返す」という行為と夢(または現実の中)で逢うことを結び付けている歌が
 何例か見られるそうです。 
 
 しかし小町は袖どころか衣全部を引っくり返しています!
 小町オリジナルのお呪(まじな)いでしょうか
 夜の床でひとり行うならば、恋しい人に夢で逢えるでしょうね……
 ちょっと怖い感じもしますが、いじらしく可愛いとも思えます。
 伝説になるような美女には、やはり情念が必要でしょうかね


 [参考文献]
 高田祐彦訳注『新版 古今和歌集』角川学芸出版、2009年
 大塚英子『コレクション日本歌人選003 小野小町』笠間書院、2011年



 後編では、恋が進行したあとの残り3首をみていきます☆

 
 
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