◆史跡案内◆京都
御霊神社と御霊信仰の頁(リンク先に詳細説明あり)でご紹介した御霊神社のうち、
京都にある2つの神社をご案内します。
御霊神社(上御霊神社)
祭神…早良親王、井上皇后、他戸親王、藤原吉子、橘逸勢、文屋宮田麻呂、
「火雷神」、「吉備大臣」
桓武天皇の平安京遷都に際して、ことに早良親王(政争に敗れて亡くなった
桓武の同母弟。崇道天皇)の霊を鎮め、王城の守護とするためはじまったといいます。
境内は「御霊の杜」と呼ばれているそうですが、確かに住宅街の中に忽然と
こんもりした小さな森が出現した、といった様子でした。
またこの地は、室町時代の「応仁の乱」勃発地としても知られています。
乱の前哨戦となる、畠山政長と畠山義就の私闘が行われました(御霊合戦)。
☆おまけ☆夜明け前の御霊神社
下御霊神社
貞観5年(863)の貞観の御霊会よりもあとの発祥かといわれています。
祭神…「吉備聖霊」、早良親王、伊予親王、藤原吉子、藤原広嗣、橘逸勢、
文屋宮田麻呂、「火雷天神」
御霊神社よりも南に位置したので、「下御霊神社」と呼ばれるようになりました。
それに従い、御霊神社も「上御霊神社」と呼ばれ区別されることもあります。
社地が現在地に定まったのは天正18年(1590)、豊臣秀吉の時代です。
両神社とも大きな境内ではありませんが、境内の中はとても静かで清々しかったです。
御霊神社(上御霊神社)
下御霊神社
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「火雷神」、「吉備大臣」
桓武天皇の平安京遷都に際して、ことに早良親王(政争に敗れて亡くなった
桓武の同母弟。崇道天皇)の霊を鎮め、王城の守護とするためはじまったといいます。
境内は「御霊の杜」と呼ばれているそうですが、確かに住宅街の中に忽然と
こんもりした小さな森が出現した、といった様子でした。
またこの地は、室町時代の「応仁の乱」勃発地としても知られています。
乱の前哨戦となる、畠山政長と畠山義就の私闘が行われました(御霊合戦)。
☆おまけ☆夜明け前の御霊神社
下御霊神社
貞観5年(863)の貞観の御霊会よりもあとの発祥かといわれています。
祭神…「吉備聖霊」、早良親王、伊予親王、藤原吉子、藤原広嗣、橘逸勢、
文屋宮田麻呂、「火雷天神」
御霊神社よりも南に位置したので、「下御霊神社」と呼ばれるようになりました。
それに従い、御霊神社も「上御霊神社」と呼ばれ区別されることもあります。
社地が現在地に定まったのは天正18年(1590)、豊臣秀吉の時代です。
両神社とも大きな境内ではありませんが、境内の中はとても静かで清々しかったです。
御霊神社(上御霊神社)
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