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 肆◆お勉強編◆

  2015/08/11
 唐風の名前 1~藤原仲麻呂編

 昨日、藤原仲麻呂が長官となった紫微中台について少し触れました。

 紫微中台の官名自体が唐風であることを見ましたが、
 後年さらに権力を掌握した仲麻呂は、多くの官名を唐風に改める政策をとります。

 「とにかく唐風かぶれのおっさん
 という仲麻呂のイメージを抱く人、多いのではないでしょうか。(それは私です


 天平宝字2年(758)8月25日条『続日本紀』に、官名の変更が列挙されています。
 唐や渤海からの影響が見て取れるそうです。

 参考:当時の律令制における二官八省の図 (『新詳日本史』浜島書店 59頁)
 二官八省

 太政官→乾政官
  太政大臣→太師 左大臣→太傅 右大臣→太保 大納言→御史大夫
 中務省→信部省
  図書寮→内史局 陰陽寮→大史局
 式部省→文部省
 治部省→礼部省
 民部省→仁部省
 兵部省→武部省
 刑部省→義部省
 大蔵省→節部省
 宮内省→智部省
 弾正台→糾政台
 衛門府→司門衛
 左右衛士府→左右勇士衛
 左右兵衛府→左右虎賁衛

 (上の表以外の令外官の改称)
 紫微中台→坤宮官
 中衛府→鎮国衛
  大将→大尉 少将→驍騎将軍 員外少将→次将


 記事の中に、たとえば乾政官ならば「如施徳生育萬物」(天徳を施して
 万物を育成するがごとし)、坤宮官ならば「如承天亭毒庶物」(地天に承けて
 庶物を亭毒※そだてやしなう するがごとし)などの改名の理由が明記されます。
 
 乾・坤は天と地を意味する対置的な語で、太政官と紫微中台が政治組織の
 中心であったことがわかります。
 また、藤原四子の時代に設置された中衛府はこのころ仲麻呂の私兵的存在
 として重視されていたそうです。



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