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 肆◆お勉強編◆

  2015/08/14
 唐風の名前 3~門の名前編

 唐風の名前・たぶん最終回、門の名前編。

 平安時代中期の国風文化と対照的に、サラッと語られるのが、
 それより前の平安初期、弘仁・貞観文化という、唐風の文化。
 すでに平安時代より前から唐風化ははじまっていましたが、
 ことに弘仁を代表的な年号にもつ嵯峨天皇の時代(在位809-823)は、
 漢詩が貴族必須の教養となり、唐風の文化が重視された時期です。

 渡唐経験のある学者、菅原清公(道真の祖父)らのサポートも得て、
 弘仁9年(818)、朝廷の儀式や男女の衣服はすべて唐風に改められました
 同年4月、大内裏の諸門の名称も従来の和名から唐名に変更され、
 新しい額が掲げられたといいます(『日本紀略』『拾芥抄』)。
 内裏の殿舎の呼称も、例えば南殿などと呼ばれていたものを「紫宸殿
 (ししいでん、ししんでん)」など、唐風に改められました。


 具体例として、以下に門名の一覧表をあげておきます。

 大内裏門

 ▲大内裏図 Wikipediaさんより拝借

 ☆正門である南面の朱雀門から時計回り(西へ回る)に改名後(改名前)☆

 朱雀すざく門(大伴おおとも門)、皇嘉こうか門(若犬養わかいぬかい門)
 談天だんてん門(玉手たまて門)、藻壁そうへき門(佐伯さえき門)
 殷富いんぷ門(伊福部いふきべ門)、ひとつとんで 安嘉あんか門(海犬養あまいぬかい門)
 偉鑒いかん門(猪使いかい門)、達智たっち門(丹治比たじひ門)、ひとつとんで
 陽明ようめい門(山やま門)、待賢たいけん門(建部たけるべ門)、
 郁芳いくほう門(的いくは門)、美福びふく門(壬生みぶ門)

 とばした二門は西側が上西門、東側が上東門で、宮域が北へ拡大された時に
 あとから造られたほかよりも簡略な門です。

 旧名はそれぞれの門を警固した旧豪族の名に由来し、またルビをみるとわかりますが、
 改称時にはその響きを生かしたよい漢字が使用されています。


 また、人名も和風にかわり唐風の名付けが定着したそうです。
 藤原北家でも「内麻呂」から「冬嗣」「良房」「基経」へ……
 仲麻呂の出た藤原南家でも父「武智麻呂」と次男「仲麻呂」は和風ですが、
 なぜか仲麻呂の兄・長男「豊成」は唐風。徐々に変化の兆しが見えます。
 (よりにもよって唐風かぶれの仲麻呂が純和風なのがおもしろい
 女子の「○子」形式が定着したのもこのころだそうです。
 

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