壱◆News・雑感編◆

  2015/08/21
 道鏡、下野薬師寺へ~事実上の追放

 神護景雲4年(770)8月21日、道鏡が「造下野国薬師寺別当」として
 当地へ派遣されることになりました。

 一時は「法王」という限りなく高い位にも就いた道鏡でしたが、
 庇護者であった称徳天皇が8月4日に崩御して20日足らずのことでした。

 下野薬師寺(現在の栃木県)は、当時日本に三つしかなかった戒壇のある
 寺院で(ほかは奈良の東大寺、筑紫の観世音寺)格式の高い寺では
 あったものの、地方寺院へ体よく追いやられた事実上の追放でありました。

 ただし道鏡の親族(弟で大納言にまで出世した弓削浄人など)には
 流罪となった人物もいた一方で、道鏡本人の断罪はされませんでした。

 2年後の宝亀3年4月7日、下野国より道鏡の「死」が報告されています。



 *  *  * ココカラ私的ナ感想 *  *  * 
 私自身は道鏡にさしたる興味はなく印象論でしかなく申し訳ないのですが、
 最近は見直されつつあるものの、道鏡といえば「妖僧」とか「巨根」などの
 形容がされ、称徳女帝との関係が興味本位に取り沙汰されがちです。

 そうした噂の発芽は、平安初期に成立した『日本霊異記』などの記述にも
 うかがえるそうで、相当早い時期からはじまっていたと推測されています。

 未婚の女帝とみるや、すぐそういう話にしたがる……
 人間の下賤な根性がみえて厭です


゚・:,。゚・:,。★ ↓↓↓ 古代史推進のために! クリックしていただけるととても嬉しいです゚・:,。゚・:,。☆

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

日本史 ブログランキングへ