ほぼ毎日ちょっとずつ更新【日微通信】
 
 弐◆人物編◆

  2015/09/02
 早良親王

 さわらしんのう。750-785.10。
 光仁天皇の皇子、母は和乙継の女・高野新笠。
 桓武天皇の同母弟(兄桓武は737生)。

 天応元年(781)兄が即位すると皇太子(弟)に立てられましたが、
 延暦4年(785)藤原種継暗殺事件が起こると、関与を疑われ、廃太子
 配流の途中、無実を訴えての断食で死亡、配流先の淡路に葬られました。
 (食事を与えられなかったという説もあるようです)

 
 弟の早良を次の天皇にと望んだのは父・光仁天皇で、桓武天皇は774年
 生まれの第一皇子・安殿親王(平城天皇)を後継に据えたかったのでしょう。

 殺された藤原種継は桓武天皇の腹心で、犯人の首魁とされたのは大伴継人。
 (この人は応天門の変で流罪となった伴善男の祖父)
 一族の長であった直前に病没していた大伴家持も罰を受けました。
 家持は生前春宮大夫であり、またほかの逮捕者にも春宮坊の官僚の名が
 見られ、春宮であった早良親王に疑いがかかりました。

 早良は太子となる前の幼いころから出家しており、東大寺など南都との
 関係が深く、長岡遷都の推進者であった種継(背後には桓武)とは
 対立する関係にあったとも推測されています。


 実際に種継暗殺の首謀者は誰か、早良親王が関与しているのか、などは
 わかりません。ただ、桓武天皇はのちになって早良の怨霊をひどく恐れ
 延暦19年(800)には崇道天皇(すどうてんのう)の号を追贈しています。

 またこのとき、自らが皇位につくときに犠牲にしてしまった(?)
 井上内親王(聖武天皇皇女、光仁天皇皇后。所生の他戸親王を廃太子するため、
 皇后位をはく奪。結果的に殺害か)も皇后に復させています。


 なんだかちょっと桓武のうしろ暗さを感じませんか……?




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