壱◆News・雑感編◆

  2015/09/25
 和気広虫・清麻呂姉弟の罰

 神護景雲3年(769)9月25日、いわゆる「宇佐八幡神託事件」で
 称徳女帝の怒りを買った和気広虫・清麻呂姉弟へ罰が言い渡されました。

 この年、宇佐八幡の神託と称し道鏡を皇位につけるべしと奏上した者がおり、
 その真偽の確認のため、側近の法均尼(広虫)の弟に輔治能真人(ふじののまひと)
 姓を与え(清麻呂のことです)、使者として派遣しました。
 ところが帰還した清麻呂は道鏡の即位を否定したため、女帝は姉弟が神託を
 ねつ造したとして二人を罰しました。

 清麻呂は因幡へ左遷の後大隅へ配流、広虫は還俗のうえ備後へ配流。

 ここで印象的なのは、女帝はこのとき清麻呂を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)
 広虫を別部狭虫(わけべのさむし)と改名していることです。
 女帝の改名癖(?)はこのときに始まったものではなく、橘奈良麻呂の乱の罪人に
 やはり悪い名前をつけたり、挙句は異母妹の不破内親王までをも罪を被ったときに
 「厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)」と貶めています

 こう見ると、「やーいやーい、おまえのかあちゃんで~べそ~」みたいなレベルに
 感じるかもしれませんが、逆に一時期寵愛していた臣下の藤原仲麻呂の一族には、
 (藤原)恵美押勝の姓を名乗ることを許しています。

 現代の私たちが感じる以上に意味のあったことではないかと思います。

 まぁ、際立って改名がお好きだったことには変わりありませんが……



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