壱◆News・雑感編◆

  2015/10/07
 清原夏野歿す

 承和4年(837)10月7日、清原夏野(きよはらのなつの)が歿しました。

 夏野は平安初期の公卿。舎人親王の子に御原王がおり、その子が小倉王、
 そのまた五男にあたる人物です。つまり舎人親王のひ孫というわけです。
 幼名は繁野王で清原氏を称しました。

 娘の女官・清原春子は、淳和天皇とのあいだに明子内親王をもうけました。

 淳和天皇の信任を受け、天長9年(832)には右大臣にまですすみ、
 翌年には従二位となりました。
 『令義解』の撰定を主宰、『日本後紀』編修にも参加。
 すぐれた文化人で、『経国集』に詩文が残ります。

 双岡(ならびがおか、双ヶ丘)に山荘をもち、比(ならび)大臣、双岡大臣と称されました。
 この跡地が現在の京都市右京区にある”蓮の寺”法金剛院です。
 法金剛院については、明日にレポートします☆
  待賢門院璋子ゆかりの法金剛院(10/8記事)




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