本日、11月1日は古典の日とされています。

 その理由は、いまや世界的名著といわれる、紫式部『源氏物語』について、
 彼女の『紫式部日記』に記された最初の日付
だからです。

 紫式部が女房として仕える中宮・藤原彰子道長の長女)に、のちに後一条天皇となる
 皇子が誕生した、その五十日祝いの宴席におけるできごとでした。
  (ちなみに、日記を絵巻にした「紫式部日記絵巻」に描かれたこの宴席の様子は、
 東京・五島美術館で例年秋に公開されているので、拝見できます)
  関連記事:五島美術館と紫式部と二千円札と


  左衛門の督、「あなかしこ、このわたりに、わかむらさきやさぶらふ」と、
  うかがひたまふ。源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上は、
  まいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。
   (『紫式部日記』寛弘5(1008)・11・1)


 左衛門の督とは、藤原公任のこととされています。

  公任が「失礼ですが、このあたりに若紫はいるかな?」と、
  几帳の間からのぞいてきたというのです。
  式部の(心の中の)返答は、「源氏の君に似ているほどのお方もいらっしゃらない
  のに、ましてあの紫の上などがどうしてここにおいでなものですか」……

 つまり、自分も紫の上みたいないい女じゃないけど、
 公任も光源氏には似てないし、なに光源氏気取っちゃってんの?
 的なことを紫式部は思いつつ、聞き流していた、ということです(無視かよ!)。
 

 これが元ネタになって、杉田圭先生の漫画『うた恋い。』でも、才女・紫式部に
 しつこく迫る(?!)公任、という図式(そして冷たくされる)ができているのでしょう

 さらに、一般的な解釈では「わかむらさき」=「若紫」で、『源氏物語』の
 ヒロイン・紫の上を指すとされますが、これを「我が紫」と解釈し、
 公任が紫式部を“俺の女”扱いしたという説もあるようです(萩谷朴「紫式部日記絵詞とその本文価値」)


 いずれにせよ、この“わかむらさき事件”(?)をきっかけに、それまで「藤式部」という
 女房名で呼ばれていた彼女は、“紫式部”と称されるようになった、といわれています。




 公任は道長の栄華を祝う席で、どのような意図をもって式部に声を掛けたのか?

 公任は当代きっての文化人でしたから、その彼も知悉している物語をものす才女――
 と示すことで、彼女を擁する主人の彰子、そしてその父・道長に対して称賛の意をあらわし、
 追従(の語が卑しければバックアップ)したのではないでしょうか。

 そして、その事実を記録に残した紫式部は、ストレートな自慢も多い『枕草子』の
 清少納言とは異なり、素直に手放しで、「公任様にこんなふうに褒められちゃった!キャハ」
 などと記すキャラではなかった、ということでしょう。

 事実、紫式部も公任のことを認めていなかったわけでは決してなく、
 同じ年の日記に、公任らの前で歌を詠むかもしれないとなったときは、
 女房たちみんなでどうしましょうと舞い上がった、という記事も残しています。
   (『紫式部日記』寛弘5・9・15)


 本日、11月1日は、そんな日でございます

 

 


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