壱◆News・雑感編◆

  2015/11/06
 井上内親王立后


 宝亀元年(770)11月6日、井上内親王が、即位して間もない(同年10月1日即位)
 光仁天皇の皇后に立てられました。54歳。

 光仁天皇の即位は、後継者のない女帝・称徳天皇の崩御後、急遽決定されました。
 称徳天皇は聖武天皇の皇女。母は藤原氏の光明皇后です。

 白壁王(光仁天皇)は天智天皇の孫にあたり、ここで聖武天皇そして天武天皇系の
 血筋による皇位継承が途絶えました(聖武天皇は天武天皇の曽孫)。
 この継承劇には藤原氏の暗躍があったなどともされますが、光仁天皇の妃であった
 井上内親王は、母(県犬養氏)こそ違え称徳女帝と同じ、聖武天皇の皇女。
 井上内親王には他戸という男子もいましたから、この子をゆくゆくは皇位に……
 という、称徳天皇周辺の意向もあったかもしれません。

 結局、井上内親王は皇后とはなったもののその後罪を得て廃后の憂き目に遭い、
 他戸も立太子したものの皇位につくことはなく、廃されてしまいます。
 そして新たに皇太子となったのが、光仁天皇が渡来系の女性に生ませていた
 山部親王(のちの桓武天皇)でした。

 井上内親王の生涯と母子の運命についての簡略な説明はこちら
  天平三姉妹紹介2:井上内親王


 上の紹介では詳しく触れなかった点について補足。
 
 井上内親王は伊勢斎宮(斎王)をつとめましたが、養老5(721)5歳で卜定され※、
 弟の急死により任を解かれたのが天平16年(744)という、非常に長い期間でした
  ※実際に伊勢に下向したのは神亀4年(727)9月

 つまり斎王の任を終えた時点で、すでに28歳となっていたのです。
 このあと、皇位にはまったく縁のなさそうな天智天皇の孫・白壁王に嫁ぐのですが、
 王は彼女よりさらに8歳年上。しかし二人の間には女子の酒人(754年生)、
 男子の他戸(761生?)が誕生しました。ん? 古代にしては、高齢出産……

 酒人内親王は、薨去記事(『日本後紀』逸文)の没年から生年を確定できます。
 他戸親王に関しては、『水鏡』の記載のみなので、疑う向きもあるようです。


 いずれにせよ、いまや男系の途絶えてしまった聖武天皇の娘という、
 限りなく高貴な血をもち、さらに男子も儲けていた井上内親王

 このとき彼女が皇后とされたのは、当然のことでした



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