左近の桜、右近の橘1

 「右近の橘、左近の桜」(うこんのたちばな、さこんのさくら)は、平安遷都のときに
 桓武天皇が、内裏の紫宸殿前に植えたのをはじまりとしています。

 実は桓武天皇からの最初のころは、桜ではなく梅であったといいますが、
 その話はいずれまた。 (下に関連記事リンク有)


 ★本日は、「右近の橘」について★

 上の写真は現在の平安神宮。こちらは紫宸殿ではなく大極殿を模した建物ですが、
 紫宸殿以外にも、里内裏の南殿(正殿)に桜と橘を植えるのが例となったそうです。

 左大将以下が並ぶ左近衛陣が紫宸殿の桜の木を陣頭に、右大将以下右近衛陣は
 同じく橘の木を陣頭としたことから、上の呼び名になったといわれています。

 あまりよい写真ではありませんが、こちらは京都御所の紫宸殿。

 左近の桜、右近の橘2


 なお、写真ではいずれも向かって右が桜、左が橘となります。
 左右は、紫宸殿におわす天皇から見ての左右です。左京・右京と同じ理屈です。



 早朝の平安神宮、まだ観光客もほとんどいません。
 朝は6時から参拝できますので、お薦めです。(ご朱印・お守りは7:30~)

 11月の平安神宮では、「橘の実摘取始式並収穫奉告祭」が行われるそうで、
 橘の実がたわわ、可愛らしくて見頃でした

 右近の橘1

 右近の橘2

 橘は初夏のイメージがありますが、それは花の咲く時期で、実(み)はいまが旬
 なのですね。わかりにくいですが、小さな実です(2~3cmほど)。
 なるほど、季語も花橘は夏ですが、実を指す場合は晩秋だそうです。


 橘はたいへんめでたい植物で、古くは「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」と称され、
 垂仁天皇の時代、田道間守(たじまもり)によって常世の国から伝えられた
 不老長寿の妙薬とされています。永遠の象徴ですね。

 反対に、桜ははかなく散る無常、限りある命を象徴している気がします。

 どちらが欠けてもいけないのかもしれません。


 「左近の桜」についての関連記事へリンク


 
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