◆イベント記録◆2015年11月14日 京都府向日市 大極殿衣裳行列
延暦3年(784)11月11日、桓武天皇は平城京から山背国乙訓の地、
長岡京への遷都を敢行しました。
この日を記念し、長岡宮の地元(京都府向日市)では催しが行われます。
そのうちのひとつが、向日市まつりの「大極殿衣裳行列」です
今年は残念ながら悪天候のため、会場の向日町競輪場での行列は中止、
そのあとの向日市文化資料館での「ファッションショー」のみとなりました。
監修は、天平衣裳で有名な、山口千代子さん
ファッションショーの解説もつとめられました。
奈良・天平祭の衣裳も担当されていたはずですが、華やかですよね~
室内で照明も暗く、席取りにも失敗したので、いい写真はありませんが
まずは成人女性。中央の女性は高貴な身分で、両脇から女官が翳(さしは)で
顔を隠してくれます(自分でしなくてもしてくれるのよ~)。
この時代(奈良時代とほぼ変わらない)は筒袖(袖が筒状で細い。手は隠れるように
長い。両脇の女性を参照)かと思いましたが、高貴な方は、中央の女性のように
大袖(大きな袂)を着ることもあるのだとか。
そういえば、昨年、奈良文化財研究所主催の観月会に参加した時の光明皇后さんも
大袖ですね! お隣の聖武天皇さんも!(中央の金ピカ?のふたり)
(右側の赤い袖の女性は、大伴坂上郎女)
去られる後姿。裳(スカート)の柄が高松塚古墳壁画みたいだ!!
身分の高い男性。
この方も立派な袖ですね。色も高貴な紫です。
この男性、長岡京遷都の立役者で桓武天皇の寵臣、藤原種継かも
しれません!!!(山口さん談)
武人もいた。
小さい男の子、カワイイ!(チビちゃんは女の子がいっぱいいた)
実は出口のお見送りが明るい場所だったので一番いい写真かも……
(女の子の表情もリラックスしてていい。花鈿(かでん)=額のお化粧 もよく見えるね)
このように未婚の若い女子たちは、双髻(そうけい)=頭上のお団子がふたつ を結える。
衣裳の色や模様、こんなに様々で華やかだったのかしら~
このころのファッションは、本当に大好き
やはり、大陸の薫りがしますね。
このころの女性は馬にも乗れました(十二単では考えもつかない!)。
男性と同じように働く「女官」は、中国にはない日本独自の制度です。だから宦官がいないの
男性と同じような衣裳を着て働いた女性もいたとか。
髪型も垂髪より活動的で可愛いですよね。どうなってるのかわかりにくいけど
筒袖で手を覆うのは馬の手綱を引くため、美しい比礼(ひれ)は埃除けのため。
埃っぽい大陸で乗馬した女性たちの装いにルーツがあるともいわれているんだとか。
* * *
このお祭りへの参加はボランティアだそうで、衣裳も市民が製作したものも一部
あるなど、勉強を重ねているそうです。
学生さんや小さいお子さんも参加されていましたが、小さい(若い)うちから
地元の文化にこうした形で触れるのはとてもいいことですね。
まったくの部外者ですが(笑)、また拝見したいです(*´∇`*)
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延暦3年(784)11月11日、桓武天皇は平城京から山背国乙訓の地、
長岡京への遷都を敢行しました。
この日を記念し、長岡宮の地元(京都府向日市)では催しが行われます。
そのうちのひとつが、向日市まつりの「大極殿衣裳行列」です
今年は残念ながら悪天候のため、会場の向日町競輪場での行列は中止、
そのあとの向日市文化資料館での「ファッションショー」のみとなりました。
監修は、天平衣裳で有名な、山口千代子さん
ファッションショーの解説もつとめられました。
奈良・天平祭の衣裳も担当されていたはずですが、華やかですよね~
室内で照明も暗く、席取りにも失敗したので、いい写真はありませんが
まずは成人女性。中央の女性は高貴な身分で、両脇から女官が翳(さしは)で
顔を隠してくれます(自分でしなくてもしてくれるのよ~)。
この時代(奈良時代とほぼ変わらない)は筒袖(袖が筒状で細い。手は隠れるように
長い。両脇の女性を参照)かと思いましたが、高貴な方は、中央の女性のように
大袖(大きな袂)を着ることもあるのだとか。
そういえば、昨年、奈良文化財研究所主催の観月会に参加した時の光明皇后さんも
大袖ですね! お隣の聖武天皇さんも!(中央の金ピカ?のふたり)
(右側の赤い袖の女性は、大伴坂上郎女)
去られる後姿。裳(スカート)の柄が高松塚古墳壁画みたいだ!!
身分の高い男性。
この方も立派な袖ですね。色も高貴な紫です。
この男性、長岡京遷都の立役者で桓武天皇の寵臣、藤原種継かも
しれません!!!(山口さん談)
武人もいた。
小さい男の子、カワイイ!(チビちゃんは女の子がいっぱいいた)
実は出口のお見送りが明るい場所だったので一番いい写真かも……
(女の子の表情もリラックスしてていい。花鈿(かでん)=額のお化粧 もよく見えるね)
このように未婚の若い女子たちは、双髻(そうけい)=頭上のお団子がふたつ を結える。
衣裳の色や模様、こんなに様々で華やかだったのかしら~
このころのファッションは、本当に大好き
やはり、大陸の薫りがしますね。
このころの女性は馬にも乗れました(十二単では考えもつかない!)。
男性と同じように働く「女官」は、中国にはない日本独自の制度です。だから宦官がいないの
男性と同じような衣裳を着て働いた女性もいたとか。
髪型も垂髪より活動的で可愛いですよね。どうなってるのかわかりにくいけど
筒袖で手を覆うのは馬の手綱を引くため、美しい比礼(ひれ)は埃除けのため。
埃っぽい大陸で乗馬した女性たちの装いにルーツがあるともいわれているんだとか。
* * *
このお祭りへの参加はボランティアだそうで、衣裳も市民が製作したものも一部
あるなど、勉強を重ねているそうです。
学生さんや小さいお子さんも参加されていましたが、小さい(若い)うちから
地元の文化にこうした形で触れるのはとてもいいことですね。
まったくの部外者ですが(笑)、また拝見したいです(*´∇`*)
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