◆小倉百人一首 歌・解釈・歌人・書道作品◆第7回
   31~35番(坂上是則・春道列樹・紀友則・藤原興風・紀貫之)

  * * *
 藤原定家が小倉山荘で撰んだという「小倉百人一首」。

 かるたとして、歌の基本学習として、かな書道入門として、
 さまざまに親しまれています。

 飛鳥時代の天智天皇からはじまり鎌倉時代の順徳院まで、
 「百人一首」がほぼ時代順に並びます。

 天智天皇から5首ずつ、全20回で歌・解釈・歌人について、
 を書道作品入りでまとめました。
  (一番下にある各首の冒頭の番号をクリックしてください。
   リンク先は 姉ブログ「くじょう みやび日録」)
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 ◆第7回:31~35番

 今回は、ちょうど33番に桜の花、35番に梅の花の歌が入っているので、
 桜と梅について触れたいと思います

 学生時代の古典の授業で、単にといえば桜をさす――と教わりました。
 ただし今回の歌では、桜も梅も「花」とあらわされていますね。
 花でも香のある花は、梅です。

 そして、花の代表格が桜になるのは平安時代に入った後のことで、
 奈良時代などは中国の影響で花の主役は梅でした。これも古典で勉強しました。


 ちなみに、いま日本の桜の多くを占めるソメイヨシノは江戸時代以降の改良種で、
 当時の桜は吉野の桜に代表される山桜系が多かったとされています。
 ソメイヨシノと異なり、葉と花が同時に見られます。

 山桜
 ▲山桜 季節の花300さまより拝借

 
 百人一首の伊勢大輔(85番)に詠われたのは「八重桜」であるように、歌に登場する桜
 すべてが山桜というわけではありません。

   いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
    ☆☆歌の解釈などはこちら(くじょう みやび日録)☆☆



 ところで、おもしろい話があります。
 現在でも京都御所の紫宸殿前に植えられている、左近の桜についてです
 紫宸殿におわす天皇から見て右に橘(右近の橘)、左に桜が植えられています。
 平安京創設からの伝統ある植樹です。 ☆☆参考:右近の橘について(過去記事)☆☆

 左近の桜、右近の橘2
 ▲京都御所の紫宸殿。向かって右が「左近の桜」(2014年初夏)

 左近の桜
 ▲平安神宮の「左近の桜」(2015年秋)

 
 この左近の桜、ある時点まで、実は梅だったとか

  『古事談』6-1に、以下の記載があります。
   南殿の桜の樹は、本は是れ梅の樹なり。桓武天皇遷都の時、植ゑらるる所なり。
   而るに、承和年中枯れ失す。仍て、仁明天皇改め植ゑらるるなり。(…)
    ※南殿=紫宸殿、承和年中=834-848年

 白梅
 ▲白梅 季節の花300さまより拝借
 梅の歌が多く詠まれた『万葉集』のころは、白梅がもてはやされた


 正史『三代実録』の記述を見ても、承和よりあとの貞観16年(874)8月24日条には
 「大風雨。折樹發屋。紫宸殿前。東宮紅梅。侍從局大梨等樹木有名皆吹倒。」
 (大意:大風雨により紫宸殿の前の桜などが折れたり吹き倒された)となっていますが、
 承和12年(845)2月1日条には「天皇御紫宸殿。賜侍臣酒。於是。攀殿前之梅花
 挿皇太子及侍臣等頭。以爲宴樂。」(大意:天皇が紫宸殿で臣下に酒を賜い、
 紫宸殿の前の梅の花を皇太子以下の頭にかざした)となっています。

 たしかに、この間に紫宸殿前の植樹は梅から桜に代わっていることが分かります。


 梅がことに珍重された奈良時代も大伴家持などをはじめ桜の歌はのこっていますし、
 平安初期には嵯峨天皇や淳和天皇が桜の宴をもよおしました。

 しかし、紫宸殿の植樹が梅から桜になったのは、象徴的なことに感じます


 [参考文献]
 山田孝雄(山田忠雄校訳)『櫻史』講談社、1990年
 浅見和彦他責任編集『新注 古事談』笠間書院、2010年





 31番 朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に ふれる白雪
  坂上是則

 32番  山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり
  春道列樹

 33番 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ
  紀友則

 34番  たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
  藤原興風

 35番 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
  紀貫之


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