◆史跡案内◆京都

 昨年末、京都桃山の桓武天皇陵を訪問しました。

 桓武陵5


 最寄駅は、近鉄丹波橋駅または京阪本線丹波橋駅。
 徒歩10分くらいでしょうか、住宅街を抜けると、かなり簡素な立札が。
 桓武陵1

 ここへたどり着く前、住宅街の中からすでに、坂道が始まっています。

 桓武天皇陵は、丘陵地を利用して築かれたと考えられています。
 現在桓武天皇陵(柏原陵、柏原山陵)として治定されている場所は、桃山丘陵の一部、
 同じくこの丘陵内に設けられた明治天皇陵(伏見桃山陵、隣に昭憲皇太后の伏見桃山東陵)
 から、豊臣秀吉の伏見桃山城をはさんで西北側にあたる地になっています。
 また別に、「大亀谷陵墓参考地」として、明治天皇陵からは東北側にあたる地点も
 桓武天皇陵の真の場所として候補に挙がっています。


 桓武陵2
 参道入口。写真の外、左側に上の簡素な立札があります。

 桓武陵3
 ここまで結構歩きます。以前参拝した天智天皇陵同様、立派な参道です。

 桓武陵4


 ようやく、高校時代からの長い付き合い(?)、卒論のほぼ主役でもあった、
 桓武天皇の陵にたどり着きました

 桓武陵6

  *
 桓武天皇。山部親王。737-806年、在位781-806年。
 父は天智天皇の孫である光仁天皇、母は渡来系出身の高野新笠。
 長岡京、平安京遷都を断行し、徐々に強大な皇権を確立。
 地方政治の刷新、蝦夷征討なども行う。
  *

 
 とはいえ……
 先述の通り、ここが桓武天皇の真陵であると立証されているわけではありません

 天皇陵を訪れたことがあまりないのですが、多くの古代天皇陵は幕末や、とりわけ
 明治帝国時代に慌ただしく治定されたもので、事実を立証できるパターンは少ない。
 京都山科の天智天皇陵(御廟野古墳)が本人と確実視されている珍しいケースで、
 そちらは参拝を済ませていますが、今回のような“本人かどうかわからない墓”に対して
 どのような心持ちで向き合ったらいいものか……正直、いつもちょっと戸惑います。


 まぁ、古代史なんて、そうしたことの連続ですけどね

 さて、さきほどの桓武天皇陵の真の場所についての話に戻ります。

 ※桓武天皇陵は古来より歴代の中でも重要視された御陵ですが、南北朝・室町時代に
 いたり朝廷の祭祀が衰退すると、その所在地はわからなくなってしまいました。
 文献史料から「伏見山」にあることは間違いないようですが、明確な所在地は不明です。
 別の史料から、かなり広く高さのある山丘形ではないかとも推測され、実は陵域は、
 桃山丘陵の峰の一つそのもので、明治天皇陵や伏見城をもすっぽり納める広範囲
 だったのではないか、とも考えられています。あるいはその本体は、伏見城建設の際に
 削平されてしまっている可能性も指摘されています。※
  ※参考文献:山田邦和「桓武天皇陵はどこにあったか」森浩一編著『古代探求』1998、中央公論社所収
 

 つまりもう少し進むと、明治天皇と皇后の昭憲皇太后陵が並んでいる場所です。
 こちらは、明治天皇陵方面から桓武天皇陵方面を示す分岐点の石碑。
 ここを右後方へ行けば明治天皇陵、道の先(前方)へ進むと桓武天皇陵があります。
 桓武陵7

 明治天皇と昭憲皇太后陵を写した航空写真です。(Googleさんより。黄色文字を付加)
 写真の左上端(西北)方面へ進むと、桓武天皇陵とされている場所です。
 石碑は写真左端中央のT字路の地点と思われます。
 明治天皇陵地図

 桃山御陵前駅側からの明治天皇陵参道入口の石碑も立派でしたし、明治天皇陵から参拝し、
 桓武天皇陵へ進むというコースが基本的に想定されているのかなと感じました。

 関連記事
 明治天皇陵・昭憲皇太后陵 (くじょう みやび日録)
 ※「御陵印」についても触れています!(明治天皇・桓武天皇御陵印写真あり)

 ちなみに、桓武天皇皇后の藤原乙牟漏陵も、過去に参拝しています。
 桓武天皇皇后 藤原乙牟漏陵

 


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