◆古典・水鏡◆第1回

 水鏡 2

 歴史物語『水鏡』、姉ブログで神武~宣化天皇まで読んできました。
 その続きの欽明天皇から見ていきたいと思います☆

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 前回までのあらすじ

 26代仁賢天皇の子・27代武烈天皇には跡継ぎがなく、群臣は応神天皇五世の孫を
 越前から迎えた(28代・継体天皇)。そのあとを継体天皇の子で尾張目子姫の生んだ
 29代・安閑天皇、30代・宣化天皇が継いだ。
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 ■31代 欽明天皇

 継体天皇と皇后手白香の子。安閑天皇の御兄。
  「皇后手白香」は、仁賢天皇の娘。「御兄」とあるが、実際は弟(異母弟)。

 +百済国から仏・経が渡り始めた。
 +帝がこれを崇めると、病や患いが広まった。
   このため物部尾輿大連が寺を焼き払うと、空には雲もないのに雨が降り、
   内裏が焼け失せ、尾輿も死んでしまった。
   また、継体天皇のころから唐土から来た人が仏を崇めていたが、
   人々は気づかず、広まることはなかった。
 +仏法が知られ始めたのはこの御代である。

  仏教公伝は『日本書紀』にも欽明天皇の記事として記載される。
    天皇は、百済の聖明王より伝えられた仏を受容するか否かを、群臣に相談する。
    受容に賛成した大臣蘇我稲目に試しに崇拝させたところ、疫病が流行る。
    このあとは『水鏡』と似た展開だが、尾輿が死んだという記事はない。    

 +聖徳太子の懐胎
   聖徳太子は欽明天皇の第四子・用明天皇の子。
   太子の母の夢に、黄金色の僧が、世を救うために腹に宿る旨を述べる。
   僧は救世観音と名乗る。母の口から入り、八か月で腹の中にて物を言う。
  『水鏡』では聖徳太子を物語の中心に据えているようである。
   『聖徳太子伝暦』などの伝記に拠った内容で、
   もちろん欽明天皇記紀(『古事記』『日本書紀』)には聖徳太子の記載はない。

 +野干をきつねと名付けたこと。

 
  仁賢天皇以降、推古天皇で終わる『古事記』は各代基本データのみの記載となっている。
  一方、欽明紀(『日本書紀』)では、任那など朝鮮半島関連の記事が大部を占めるが、
  『水鏡』では一切触れられていない。


  [参考文献]
  ・河北騰『水鏡全評釈』笠間書院、2011
  ・宇治谷孟『全現代語訳日本書紀』講談社、1988
  ・次田真幸『全訳注古事記』講談社、1984

  
 
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