◆古典・水鏡◆第2回

 水鏡 2

 歴史物語『水鏡』、姉ブログで神武~宣化天皇まで読んできました。
 その続きの欽明天皇から読んでいます☆

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 前回までのあらすじ

 越前から招かれた継体天皇と、その先々代の仁賢天皇の娘・皇后手白香の子である、
 欽明天皇が異母兄たちの後を継いで帝位に立った。
 この御代には仏教伝来があり、また聖徳太子が母のお腹に宿った。
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 ■32代 敏達天皇

 欽明天皇第二皇子、母は宣化天皇の娘・石姫皇后。

 +聖徳太子が厩の前で誕生した。
   母は苦しむこともなくにわかに生まれ、西の空から光が射した。
   生後四か月で物を話した。
 +高麗から烏の羽の書(ふみ)が渡った。
   なにがし王がこしきの上に置いて写し取りやすやすと読んだ。
 +聖徳太子が二歳で東に向かい「南無」と唱えた。
   からだから素晴らしい芳香も発した。
 +聖徳太子が六歳で前世のことを話した。
   唐土で仏教のことは知っていると言う。

  敏達天皇の御代なのに、最初からほとんど聖徳太子の話。
   なお、高麗の烏の羽の書の話は敏達紀(『日本書紀』)にもあり、
   船史の祖・王辰爾(おうじんに)が読み解いている。    

 +法華経が渡ってきた。聖徳太子七歳。
 +新羅から釈迦仏が渡ってきた。聖徳太子八歳。
 +百済から日羅が来て、十二歳の聖徳太子を拝んだ。
  日羅は敏達紀にも記載があり、元は肥後国から百済へ帰化した者の子。
   同行した百済人に妬まれ殺されたという。

 +百済からの弥勒の石像を大臣蘇我馬子が賜った。
 +物部守屋大臣が仏法をやめるよう奏上、堂塔を焼き払った。
   流行病がやまないのは仏法のせいだとする守屋。
   しかし焼き討ちの後、雲なくして風雨、帝も守屋も瘡を患い、
   瘡が天下に流行る。仏像を焼いた罪。帝は馬子に崇仏を許す。
 +天皇崩御。
  この蘇我馬子と物部守屋の崇仏論争は敏達紀の内容と同じ。
   帝は最終的に馬子のみに崇仏を許した。

   
 +道場法師の怪力伝説。


 
  ここから『水鏡』中巻。
  前半こそ聖徳太子の記述に終始しているが、後半は欽明紀から引き続いて
  『日本書紀』から引いたであろう崇仏論争の記載になっている。


  [参考文献]
  ・河北騰『水鏡全評釈』笠間書院、2011
  ・宇治谷孟『全現代語訳日本書紀』講談社、1988
  ・次田真幸『全訳注古事記』講談社、1984

  
 
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