◆古典・水鏡◆第3回

 水鏡


 歴史物語『水鏡』、姉ブログで神武~宣化天皇まで読んできました。
 その続きの欽明天皇から読んでいます☆

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 前回までのあらすじ

 欽明天皇、その子敏達天皇と皇統が継がれていったが、
 その間、大陸から入ってきた仏教をめぐって争いが始まっていた。
 敏達天皇の御代に生まれた聖徳太子が、聖人の片鱗を見せていた。
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 ■33代 用明天皇

 欽明天皇第四皇子、母は大臣蘇我稲目の娘で妃の堅塩姫。

 +聖徳太子が父・用明天皇の余命を、ことのほか短いと観る。
   果たして翌年天皇は病床に就き、三宝(仏教)を拝むことを望む。
  用明天皇は、穴穂部間人皇女を皇后に立てた、
  その第一子が厩戸皇子(豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王、法主王)という。
  と『日本書紀』にはあるが、「聖徳太子」の名はない。

  

 +物部守屋の崇仏への反対と、聖徳太子の対応。
   天皇の仏教崇拝に守屋は反対、蘇我馬子は天皇の信頼を得る。
   聖徳太子は自分を呪詛した守屋に対し、守屋の味方に刺客を送った。

 +守屋との戦い。太子は誓願を起こし、白膠木(ぬるで)に仏を彫る。
   四天王の放つ矢であると言い、舎人の赤檮(いちい)に射させると、
   守屋の胸に的中し、落命させた。
 +この年、天王寺が造り始められた。
  『日本書紀』にも詳しい蘇我馬子と物部守屋を中心とする、崇仏拝仏戦争。
   紀にも厩戸皇子の誓願の挿話が見える。



 
  水鏡も日本書紀も、仏教をめぐる戦争について、ほぼ同様に描く。
  ただし、戦いは用明天皇が4月に崩御した後の7月のことなので、
  紀では次の崇峻紀に入れている。(まだ崇峻は即位していない)

  用明紀には、欽明皇子の穴穂部皇子が野心を抱き、邪魔な忠義者・三輪逆を
  殺害する事件が描かれている。守屋は馬子と対照的に、積極的に加担している。


  また、気になるのは、水鏡の聖徳太子は紀よりも戦闘的で、守屋の周囲の人間を
  殺させていること(「守屋に片寄れる人々を殺させ給ひし」)。


  [参考文献]
  ・河北騰『水鏡全評釈』笠間書院、2011
  ・宇治谷孟『全現代語訳日本書紀』講談社、1988
  ・次田真幸『全訳注古事記』講談社、1984

  
 
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