◆古典・水鏡◆第4回

 水鏡 2



 歴史物語『水鏡』、姉ブログで神武~宣化天皇まで読んできました。
 その続きの欽明天皇から読んでいます☆

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 前回までのあらすじ

 聖徳太子の父・用明天皇は位に就くと仏教信仰をのぞみ、
 物部守屋の拝仏派と蘇我馬子の崇仏派はますます対立した。
 天皇が崩御すると戦争となり、聖徳太子の誓願もあって崇仏派が勝利した。
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 ■34代 崇峻天皇

 欽明天皇第十二皇子、母は大臣蘇我稲目の娘・小姉君姫。

 +聖徳太子が命により天皇の相を観る。
   立派だが、傷害の相で命の危険があると言う。
 +太子元服、19歳。
  
 +崇峻天皇、「猪の首を斬るべし」と言う。
   天皇は大臣の蘇我馬子が横暴だと感じており、太子に漏らしていた。
   太子は忍耐を説いていたが、ある日、天皇は献上された猪を見て、
   「この猪の首を斬るように、奴の首もいつ斬れるだろうか」と言ってしまう。
   慌てた太子は大宴会を行い、このことを口外しないよう、人々に言った。

 +馬子、東漢駒を使って天皇を暗殺。
   その後、馬子は自分の娘を犯した駒を、「お前は天皇を殺したな」と叫び、
   殺してしまう。駒は「天皇とは知らなかった」と言っていた。

  『日本書紀』にも詳しく天皇暗殺の経緯が掲載されており、ほぼ同じ内容。
   ただし、厩戸皇子の関与はまったく描かれていない。


 
  日本書紀では、天皇妃の大伴小手子が寵愛の衰えを憎み、馬子に猪の件を
  告げ口させたという説もある、と載せている。

  またもや気になるのは、水鏡では聖徳太子が必ず話に絡んでいる。
  ただし、人の口には戸が立てられないのは自明のことであるのに、
  緘口令を敷くなど間抜けな行動は疑問である。


  なお崇峻紀(日本書紀)には前回述べた通り水鏡では用明のところにある
  馬子と守屋の戦争を載せていること、加えて馬子による法興寺の創建や、
  天皇による任那再建への動きを載せている。



  [参考文献]
  ・河北騰『水鏡全評釈』笠間書院、2011
  ・宇治谷孟『全現代語訳日本書紀』講談社、1988
  ・次田真幸『全訳注古事記』講談社、1984

  
 
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