2016/02/10
  長屋王の変おこる

 神亀6年(729)2月10日、いわゆる「長屋王の変」が始まりました

 長屋王は天武天皇の孫で、高市皇子の嫡子。
 妻は、天武天皇の子でその皇太子であった草壁皇子を父にもつ
 吉備内親王。内親王の母は、先々代の元明天皇(天智天皇の娘)。
 また、長屋王の母は元明天皇の同母姉。
 先代の天皇であった元正太上天皇は妻の同母姉にあたります。

 皇親を代表する存在であった長屋王は、正二位左大臣となり、
 このときの聖武天皇の時代にも大きな力を持っていました。


 このロイヤルファミリーの実力者・長屋王が失脚し落命した長屋王の変。

 簡単に日を追って、正史『続日本紀』の内容をご紹介します。

 【2月10日】
 ・長屋王が密かに左道(妖術)を学び国家を覆そうとしている、
 という密告がなされる。
 ・夜、聖武天皇は三関を固めさせ、式部卿藤原宇合らを遣わして
 六衛府の兵士を率い長屋王邸を包囲させた。
 
 【2月11日】
 ・午前10時ごろ、舎人親王・新田部親王・大納言多治比池守・
 中納言藤原武智麻呂らを長屋王邸に遣わし、訊問させた。

 【2月12日】
 ・長屋王を自殺させた。吉備内親王やその息子膳夫王・桑田王・
 葛木王・鉤取王らも首をくくり自殺した。残りの者は捕えて監禁した。

 【2月13日】
 ・長屋王と吉備内親王を生駒山に葬った。
 (この際、天皇は吉備内親王の無罪を勅した。)

 このあと仲間を除去すべき旨があったが、結局7人が流罪になった
 だけであり、また長屋王の兄弟姉妹・妾・子孫らもすべて赦免された。


 [参考文献]宇治谷孟『現代語訳 続日本紀(上)』講談社、1992年
 


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