◆古典・水鏡◆第5回

 水鏡


 歴史物語『水鏡』、姉ブログで神武~宣化天皇まで読んできました。
 その続きの欽明天皇から読んでいます☆

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 前回までのあらすじ

 仏教戦争ののち、崇峻天皇が位に就いた。
 拝仏派の物部守屋を滅ぼした崇仏派の蘇我馬子は、未然に事を防ごうとした
 聖徳太子の努力もむなしく、崇峻天皇も暗殺してしまう。
 
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 ■35代 推古天皇

 欽明天皇の娘、母は大臣蘇我稲目の娘の蘇我小姉君姫。
 『日本書紀』をはじめほとんどの史書では、母は小姉君の姉妹・堅塩姫。
  敏達天皇の皇后である。


 
 +聖徳太子に天下の政を行わせる。
   崇峻天皇の暗殺から約ひと月後に即位した推古天皇はその翌年、
   自分は女人なので、聖徳太子に政を行うよう言った。人々は喜んだ。
   またこのときに太子に立った、22歳。

 +聖徳太子の功績。
   四天王寺を難波に移す。

 +沈香木が漂着した。

 +甲斐の黒駒のこと。
   聖徳太子が良馬を探し、甲斐の国から貢進されたこの黒駒を選んだ。
   東方の雲の中へ駆けていき、富士山と信濃をめぐって三日後に戻った。
   

 +聖徳太子の功績。
   広隆寺を建てる。橘寺を建てる。勝鬘経を講じる。

 +聖徳太子、夢殿に七日籠る。
   枕元には小野妹子が持って帰ってきた一巻の経があり、
   太子は前世で自分が持っていた経だと言う。
 小野妹子は遣隋使として中国へ渡り、そこから持って帰ってきた経
  ということになるが、遣隋使の話にはまったく触れられていない。


 +聖徳太子が亡くなる。
   推古天皇29年、49歳。天皇以下万民悲しむ。
   聖徳太子は我が国に仏教を取り入れた恩人である。
 聖徳太子の奇蹟も語られるが、後世の伝略などに拠る。


 +34年、大雪。



 
  推古天皇の御代の記事は、ほぼ聖徳太子の仏教関連記事で埋め尽くされる。

  遣隋使の話題もなく、新羅征討の試みはもちろん冠位十二階・憲法十七条の記載もなく、
  蘇我馬子の名も出なければ推古天皇崩御についてさえまったく言及がない。

  聖徳太子と仏教という主張が実にはっきりしている。


  [参考文献]
  ・河北騰『水鏡全評釈』笠間書院、2011
  ・宇治谷孟『全現代語訳日本書紀』講談社、1988
  ・次田真幸『全訳注古事記』講談社、1984

  
 
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