2016/02/25
  間人皇女(大后)歿す

 天智天皇4年(665)2月25日、間人皇女(はしひとのおうじょ)歿す

 舒明天皇を父に、皇極斉明天皇を母に持ち、
 兄は天智天皇(中大兄皇子)、弟は天武天皇(大海人皇子)

 乙巳の変ののち即位した母の同母弟、孝徳天皇の皇后(大后)となりましたが、
 夫と兄が対立すると兄に従い、群臣や母とともに難波から飛鳥へ移りました。
 当時でもタブーであった同母兄妹間の男女関係説という理解もあります。
 母斉明天皇の死後称制をおこなっていた中大兄皇子が正式に即位したのは、
 妹の死から3年近く経ってからでした(天智天皇、668年正月)。


 2月23日の記事で天智天皇の大后倭姫王の話をしましたが、彼女たち=
 倭姫王と間人皇女には共通点があります。

 それは『万葉集』の謎の歌人中皇命(なかつすめらみこと)」に比定されうる
 人物であるという点
です。 

 巻一に長歌1首、短歌4首をのこす「中皇命」は、舒明朝から斉明朝の歌が残る
 以外、その正体はわかりません。間人皇女と倭姫王のほか、斉明天皇とする説
 などもあり、また舒明期と斉明期を別の人物と分けて考える説もあります。

 ほかに『大安寺伽藍縁起』にみえる「仲天皇」という人物もあり、
 この「中」「仲」が中継ぎや中宮を意味するというのですが、
 現在のところ確かなことはまったく不明です。

 万葉集表紙
 中西進先生の『万葉集(一)』表紙(講談社、1978)
 


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