◆史跡案内◆京都

 
 京都の南、宇治の木幡(こはた)という土地は、藤原氏の墓所でした。

 ……そういえば、あれほど歴史上の有名人でありながら、
 藤原道長の墓、って聞かないですよね
 そもそも現在天皇陵も124治定されており宮内庁の管理下にありますが、
 こと古代の天皇に関しては、実はほぼ根拠がないというのはよく知られた話。

 埋葬地が重視され石碑などを立てるようになったのは、早い地域でも中世末期から
 といわれているそうです。いかに摂関政治の全盛を極めた道長であっても、
 その墓所は現在となっては確定できないのも仕方ありません。


 ただこの木幡の地(現在のJR奈良線黄檗駅~木幡駅付近の東側丘陵地)が
 藤原氏の埋葬地だったことは当時の史料などからも知られています。
 (この地は藤原氏以前の古くから埋葬地であり、古墳も多いそうです)
 現在、藤原氏出身の皇室関係者の17陵3墓など1号から37号の塚を宇治陵とし、
 宮内庁の管理下にあります。どの墓が誰のものかまでは指定されていません。


 そんな状況ですので、宇治陵のお参りはたいそうな骨折りです。
 ただ、便利な場所があって、代表として宇治陵総拝所が存在しています(1号墳)。
 とりあえず、まずはここへお参りすべし
 宇治陵3
 ▲宇治陵総拝所(1号墳)

 宇治陵2
 ▲藤原氏出身の皇室関係者20名(詳細は拡大してご覧ください)

 そばに、ここに眠ると思われる主な藤原氏の名を記した供養碑もあります。
 この碑は、道長創建の浄妙寺(後編参照)の礎石と伝える石材を用いています。
 宇治陵1
 ▲詳細は拡大でご覧ください。


 おぉ~有名人がいっぱい

 冒頭にあげた道長の名もあります。道長と推測される墓は次回(後編)にお届けする
 として、今回は、藤原基経墓と言い伝えられている場所へ。

 宇治陵4基経
  許波多(こはた)神社境内、本殿の向かいにある36号墳です。
 宇治陵5基経
 こんな「えっ、これが……?」という感じの塚ですが(しかも通称「狐塚」だとか)、
 古墳のような巨大な塚を築く時代はとっくに過ぎています。

 ただ、基経墓であるというのも伝承であり、明確ではありません。

 基経狐?
 ……狐塚?
 (灰原薬『応天の門』最新巻=5巻表紙の基経サン)

 [参考]宇治市観光サイト内「歩っぷinうじ」



 宇治陵総拝所は奈良線木幡駅近く★印付近
 宇治陵地図1

 宇治陵・後編~浄妙寺跡・道長墓?

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