◆小倉百人一首 歌・解釈・歌人・書道作品◆第8回
   36~40番(清原深養父・文屋朝康・右近・源等・平兼盛)

  * * *
 藤原定家が小倉山荘で撰んだという「小倉百人一首」。

 かるたとして、歌の基本学習として、かな書道入門として、
 さまざまに親しまれています。

 飛鳥時代の天智天皇からはじまり鎌倉時代の順徳院まで、
 「百人一首」がほぼ時代順に並びます。

 天智天皇から5首ずつ、全20回で歌・解釈・歌人について、
 を書道作品入りでまとめました。
  (一番下にある各首の冒頭の番号をクリックしてください。
   リンク先は 姉ブログ「くじょう みやび日録」)
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 ◆第8回:36~40番

 40番と41番が有名な天徳歌合の逸話がある歌ですが、分断されてしまいました
 この名勝負については、姉ブログに記事にしてありますので、
 ご興味ある方はぜひどうぞ。 忍ぶれど&恋すてふ


 というわけで、今回は、昨日UPした記事『春はあけぼの殺人事件』つながりで、
 清少納言と36番の清原深養父について書こうと思います。

 中宮藤原定子に仕え、名随筆・枕草子を残した清少納言。
 ところが、和歌を詠むことに関しては、こんなふうに書き残しています。

   なにか、この歌、すべて詠み侍らじ、となむ思ひ侍るを(…)
  (私はこの歌というものを一切詠むまいと思っておりますのに…)

 その理由は、こうです。

   歌詠むと言はれし末々は、すこし人よりまさりて、「その折の歌は、これこそありけれ、
   さは言へど、それが子なれば」など言はればこそ、甲斐ある心地もし侍らめ。
   つゆとりわきたる方もなくて、さすがに歌がましう、我はと思へるさまに、最初に
   詠み出で侍らむ、亡き人のためにも、いとほしう侍る


 清少納言の家系は「歌詠むと言はれし」、つまり歌人の家系であったというのです。
 それゆえ、人よりましな歌を詠まなければならない、でも自分は歌には優れたところがない、
 自分こそと最初にしたり顔で詠むのは亡き父にも気の毒だ――と、定子に訴えています。

 定子は笑って、清少納言が歌を詠まずにいることを許してくれます。

 才女・清少納言は、名歌人であった父祖の名をプレッシャーに感じていたのですね。

 
 清少納言の本名はわかっていませんが、父は小倉百人一首42番の清原元輔
 元輔の祖父(父という説もあり)が、36番の清原深養父(ふかやぶ)です。
 歌人・学者として名高く、しかもユーモアあふれる性格で知られていた父のもと、
 清少納言はその才能を培い、定子のサロンで花開かせたのです。

 歌に苦手意識のあった清少納言ですが、小倉百人一首62番に選ばれています。

 曽祖父・父・娘の三代が入選しているなんて、素晴らしいですね
 

 [参考文献]
 『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 枕草子』角川書店、平成13年



 36番 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらん
  清原深養父

 37番  しらつゆに 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
  文屋朝康

 38番 わすらるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな
  右近

 39番  浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき
  参議等

 40番 忍ぶれど 色にいでにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで
  平兼盛   ※リンク先は41番との合併記事※


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