◆古典・水鏡◆第7回
歴史物語『水鏡』、姉ブログで神武~宣化天皇まで読んできました。
その続きの欽明天皇から読んでいます☆
+ + +
前回までのあらすじ
推古女帝のあとは、敏達天皇の子・舒明天皇が位についた。
+ + +
■37代 皇極天皇
敏達天皇の曽孫、舒明天皇の后。母は欽明天皇の孫の吉備姫。
敏達天皇の子が押坂彦人大兄皇子、その子が茅渟王、その娘。
母は欽明の子・桜井皇子の娘。
+干ばつに際し、祈祷して慈雨が降る。
大臣蘇我蝦夷の祈りも効果がなかったが、女帝が神に祈ったところ効果絶大。
+蘇我蝦夷の子・入鹿、聖徳太子の子孫を攻略する。
子・大兄王、いったんは生駒山へ逃れるが斑鳩の宮へ戻り、
香炉を捧げて誓われたところ、天から迎えが来て西方へ飛び去った。
浄土教の“往生極楽”譚として華々しく描いている。
+中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足が蹴鞠をきっかけに出逢い、急接近。
法興寺にて、皇子が飛ばしてしまった沓を、鎌足が奉っての出逢い。
『日本書紀』などに同じ、有名な逸話。
+蘇我入鹿の僭上のこと。
自邸を「宮門」と称し、子供たちを「皇子」と呼んだ。
兵士50人を親衛隊としてつねに身近に侍らせた。
ここも『日本書紀』と同じ。ただし『紀』で聖徳太子の一族との軋轢のきっかけを
生む一因であった「大陵・小陵」の記載はない。
+山階寺金堂の釈迦の由緒。
鎌足が願を起こし、丈六釈迦仏を造らせた。
そして、入鹿を暗殺し、蝦夷を自殺へ追い込んだクーデターが起こった。
このクーデターの模様(乙巳の変)については『紀』がより詳細だが、
この『水鏡』でも細かく描写している。
なお、『紀』では鎌足が俳優(わざおぎ)に命じて入鹿の剣を解かせているが、
こちらでは鎌足自ら「何ともなき様に戯れに言ひなし給ひて」剣を解かせている。
+但馬国の人の子が鷲にさらわれた話。
縁あってか、無事に別の地で育っているところに、親が通りかかる。
水鏡の最大の特徴は、仏教関連記事が多いこと。
皇極天皇の巻では、聖徳太子の子が滅ぼされる描写が、極楽往生そのものである。
(あくまでも聖徳太子の子であり、山背大兄王の個人名は出てこない)
この巻では、『日本書紀』と同じく蘇我氏の専横が目立つが、「大陵・小陵」の描写や
父蝦夷から子入鹿への勝手な「紫冠」(大臣の位を表す)の譲与の話などはない。
[参考文献]
・河北騰『水鏡全評釈』笠間書院、2011
・宇治谷孟『全現代語訳日本書紀』講談社、1988
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敏達天皇の曽孫、舒明天皇の后。母は欽明天皇の孫の吉備姫。
敏達天皇の子が押坂彦人大兄皇子、その子が茅渟王、その娘。
母は欽明の子・桜井皇子の娘。
+干ばつに際し、祈祷して慈雨が降る。
大臣蘇我蝦夷の祈りも効果がなかったが、女帝が神に祈ったところ効果絶大。
+蘇我蝦夷の子・入鹿、聖徳太子の子孫を攻略する。
子・大兄王、いったんは生駒山へ逃れるが斑鳩の宮へ戻り、
香炉を捧げて誓われたところ、天から迎えが来て西方へ飛び去った。
浄土教の“往生極楽”譚として華々しく描いている。
+中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足が蹴鞠をきっかけに出逢い、急接近。
法興寺にて、皇子が飛ばしてしまった沓を、鎌足が奉っての出逢い。
『日本書紀』などに同じ、有名な逸話。
+蘇我入鹿の僭上のこと。
自邸を「宮門」と称し、子供たちを「皇子」と呼んだ。
兵士50人を親衛隊としてつねに身近に侍らせた。
ここも『日本書紀』と同じ。ただし『紀』で聖徳太子の一族との軋轢のきっかけを
生む一因であった「大陵・小陵」の記載はない。
+山階寺金堂の釈迦の由緒。
鎌足が願を起こし、丈六釈迦仏を造らせた。
そして、入鹿を暗殺し、蝦夷を自殺へ追い込んだクーデターが起こった。
このクーデターの模様(乙巳の変)については『紀』がより詳細だが、
この『水鏡』でも細かく描写している。
なお、『紀』では鎌足が俳優(わざおぎ)に命じて入鹿の剣を解かせているが、
こちらでは鎌足自ら「何ともなき様に戯れに言ひなし給ひて」剣を解かせている。
+但馬国の人の子が鷲にさらわれた話。
縁あってか、無事に別の地で育っているところに、親が通りかかる。
水鏡の最大の特徴は、仏教関連記事が多いこと。
皇極天皇の巻では、聖徳太子の子が滅ぼされる描写が、極楽往生そのものである。
(あくまでも聖徳太子の子であり、山背大兄王の個人名は出てこない)
この巻では、『日本書紀』と同じく蘇我氏の専横が目立つが、「大陵・小陵」の描写や
父蝦夷から子入鹿への勝手な「紫冠」(大臣の位を表す)の譲与の話などはない。
[参考文献]
・河北騰『水鏡全評釈』笠間書院、2011
・宇治谷孟『全現代語訳日本書紀』講談社、1988
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