2016/04/27
井上内親王母子、歿す
宝亀6年(775)4月27日、光仁天皇のかつて皇后であった井上内親王と、
二人の間の子でかつて皇太子であった他戸(おさべ)親王が、同日に歿しました。
正史『続日本紀』には、たった一文で記されています。
井上内親王、他戸王並卒。
井上内親王は宝亀3年3月に「巫蠱」(呪詛)の罪で皇后を廃されており、
同年5月、それに坐して他戸親王も皇太子を廃され、庶人とされています
(この時以後、正史の他戸の表記は「親王」から「王」となる)。
井上内親王は聖武天皇の娘。聖武天皇やその祖・天武天皇と血のつながりのない
久しぶりの天皇であった光仁の正統性にとって、重要な存在でした。
光仁の即位は、井上内親王の男子・他戸が存在したため、ともいわれます。
ところが二人は再び罪を得て、宝亀4年10月には「大和國宇智郡沒官之宅」へ
幽閉の憂き目に遭います。その次の消息が、母子同日の死なのでした。
常識的に考えて、普通の死ではなさそうですね。
この間、宝亀4年正月に皇太子となっているのが、のちの桓武天皇です……
この悲劇の聖武天皇の娘(孝謙・称徳天皇の異母姉にあたる)井上内親王は、
717年の生まれ。来年2017年は生誕1300年を迎えます。
旧宇智郡・奈良県五條市の御霊神社の本宮では、1300年祭が予定されています。
▲若き日の井上内親王イメージ☆
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