◆史跡案内◆京都

 
 京都の南、宇治の木幡(こはた)という土地は、藤原氏の墓所でした。

 以前その「宇治陵」を一部めぐった記事を載せましたが、今回補足です。

 そのなかで、藤原道長(と思われる)墓をめぐりました。
 32号墳が有力とされているそうですが、隣接する33号墳の可能性もあります。
 この付近は平安末期の摂政・関白藤原基房(松殿)の松殿山荘があった場所で、
 33号墳には、基房の娘の墓という伝承があるそうです

 詳しくは過去記事宇治陵・後編~浄妙寺跡・道長墓?

 もう一度、32・33号墳の写真を掲載しておきます。

 *32号墳*
 宇治陵8 32号墳
 宇治陵9 32号墳

 *33号墳*
 宇治陵10 33号墳
 宇治陵11 33号墳

 この藤原基房(松殿)の娘ですが、名前は伊子(いし、と読んでおく)といいます。

 確証はないのですが、かなり波乱万丈な人生を歩んだ女性のようです

 まず、あの木曽義仲に嫁いだといわれています。
 義仲が朝廷に乗り込み後白河法皇を幽閉、独裁を敷くにあたり、前摂政・関白基房と結び、
 時の摂政や内大臣を罷免して、基房の子・師家を内大臣・摂政・氏長者としました。

 『平家物語』ではこのとき義仲が基房の娘を正室に迎えたといいます。
 この女性が基房の娘のうち夫の名が定かでない伊子であると推測され、
 あるいは「冬姫」ともその名が伝えられています。
 (吉川英治『新・平家物語』には「冬姫」と義仲のロマンスが描かれています)
 真偽も定かではありませんが、基房と義仲の同盟関係を考えても可能性はあります。

 周知の通り義仲はほどなく非業の死を遂げますが、その後伊子は、後白河法皇亡き後の
 政界の実力者・源通親のもとへ再び嫁がされたといわれています。
 この二人の間にできた子が、曹洞宗の開祖・道元だと伝えられているのです……
 吉川弘文館『国史大辞典』「道元」の項には、「内大臣源通親を父とし、摂政太政大臣
 藤原基房の娘を母として木幡の松殿山荘で生まれた、といわれている」とありました。


 以上の通り、「いわれている」「推測され」「伝えられている」ばかりの内容で、
 確たることはわかりません。しかしこの通りだとすれば、道長の隣には、大変な運命の
 女性が眠っていることになりますね。

 道長の墓(推定)参りのついでに、藤原伊子に思いを馳せてみるのも一興です。
 


 32・33号墳★印付近
 宇治陵地図2



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