平城京天平行列解説・レポート
初日の3日には平城宮跡において、平城京の歴代天皇や皇后、女官・文武百官などに
よる時代行列「平城遷都之詔」が行われました。
2016年天平行列を写真と解説で
記事では、2016年の天平行列の全体を、先頭から順に写真と解説で追っていきます。
警固に先導された伎楽隊と男性百官、そのあと元明天皇(女帝)グループから時代順に
歴代天皇のグループが行進していきます。
今年から加わったという、遣唐使節団が末尾となりました。
今年の奈良は“阿倍仲麻呂入唐1300年”に力を入れているのかもしれません。
行列は第一次朝堂院跡南を11:00に出発、大極殿へ向かいます。
兵衛隊・伎楽隊・男性百官
大極殿南門前まで到着すると、衛士隊から引き継ぎ兵衛隊が先導・警固を行います。
この南門で本日の主役・元明天皇が輿から降りるそうです。
(警固の交替と元明が輿から降りる様子は未見ですが、準備された輿は見ました)
兵衛隊とそれに続く伎楽隊・男性文武百官の行列の様子。
令制五衛府のうち最も天皇の身辺警衛を行ったのが兵衛府です。
男性百官の服の色は、身分の高い順に紫→赤→緑→青。
今年は例年より人数が少なめとか。
元明天皇グループ
710年に平城遷都を行った元明天皇(女帝)の一行。
元明天皇の衣裳は男性天皇と同じスタイルになっています。
(元明天皇の経歴と大きな写真は「1 女帝特集」へ)
艶やかな高位命婦が2人。服は女性の礼服で、筒袖ではなく大袖。
この方たちも女帝たち同様、ミス奈良だそうです。
天皇の姿を隠す翳(さしば)を持つ奉翳女嬬(はとりのにょじゅ)たち。
宮廷衣裳の朝服です。※復路の写真
元正天皇グループ
元明天皇の娘で、母から譲位された元正天皇(女帝)の一行。
天皇と前半の女官たちは、高松塚古墳壁画像のような朝鮮伝来風のスタイル。
特徴的ですね。よく見ると打ち合わせが現在と左右逆なのです。
(元正天皇の経歴と大きな写真は「1 女帝特集」へ)
後半は胸高のスカートの女官たち。
聖武天皇グループ
元明天皇の孫。天武天皇と持統天皇の皇嗣であった草壁皇子と元明のあいだの
文武天皇が残した男子で、伯母にあたる元正天皇から譲位された、正統を継ぐ天皇です。
鎮護国家の思想で東大寺に盧遮那仏を造り、華やかな文化が栄えました。
聖武天皇が被っているのは冕冠(べんかん)。
後ろの女官たちのスタイルもぐっと華やかさを増します。
前代に比べて背子(ベスト)が加わり、その上に裳をはくようになりました。
一行が大極殿へ向かう姿。一段ときらびやかですね
光明皇后グループ
聖武天皇の皇后・光明皇后の一行。藤原氏初の皇后、藤原不比等の三女です。
(光明皇后の経歴と大きな写真は「1 女帝特集」へ)
聖武天皇の女官たちと同様、後方の女官たちは二人の愛用品を捧げ持っています。
光明皇后の手にも香合が見えます。敦煌壁画供養参詣を模しているとのこと。
孝謙天皇グループ
聖武天皇と光明皇后の娘、孝謙天皇(女帝)の一行。
聖武・光明時代とほぼ変わりはありません。
孝謙天皇の装いは色合いが可愛らしいです。
(孝謙天皇の経歴と大きな写真は「1 女帝特集」へ)
女官たちも前代同様、きらびやかですね。
淳仁天皇グループ
天武天皇の孫(舎人親王の子)で孝謙天皇から譲位された淳仁天皇の一行。
権力者藤原仲麻呂の庇護を受けましたが、孝謙と不和となり、藤原仲麻呂の乱を
経て“廃帝”とされてしまう。
※復路の写真
女官たちの装いに統一感があります。ピンクを基調としているようです。
称徳天皇グループ
仲麻呂の乱に勝利し、重祚した称徳天皇(孝謙天皇が再び位に就く)の一行。
孝謙天皇が歳を重ねた人物ですから、その差を考慮して落ち着いた雰囲気に
しているのでしょうか(いずれにせよ、中の人はお若くて綺麗ですが)。
(称徳天皇の経歴と大きな写真は「1 女帝特集」へ)
女官たちは薄オレンジの衣裳に水色の比礼(ひれ)で統一でしょうか。
光仁天皇グループ
天武天皇の血筋が続いた後、天智天皇の孫(志貴皇子の子)として即位した光仁天皇の一行。
光仁天皇の次が長岡京・平安京へと遷都を行った桓武天皇です。
奈良時代末期から平安時代初期にかけては、女官の背子が丸首になっていきました。
このグループは薄い黄色の背子にハート形の翳が特徴のようですね。
遣唐使節団
今年行列初参加の「遣唐使節団」の一行。
先頭が大使・副使とのこと。
唐大使、学問僧なども見えます。
「平城遷都之詔」の儀式
ここまでは第一次朝堂院跡から大極殿前に向かって真っすぐ行列が進みましたが、
一同が前庭に揃ったところで儀式が始まります。
行列が大極殿へ進む様子(元明天皇グループ)
これを大極殿内部から見るとこんな感じ(※別動隊撮影!!)
元明天皇御一行、到着~
続々と集まってきます。手前に聖武天皇の傘が見えますね。
孝謙天皇隊、淳仁天皇隊、称徳天皇隊が近づいてきます。
整列!
地上から見るとこんな感じ。この見えていない右方向に天皇たちの列がある。
元明天皇の一行の一部のみが大極殿へあがり、「平城遷都之詔」が発されます。
大極殿内部の様子。スタンバイする元明女帝。
大極殿やその前の広場はかなりのスケールで、地上から性能のよくないカメラ望遠だと
こんな感じの撮影が精一杯です!
ここで正史にも載っている遷都の詔が、少納言によって読み上げられます。
…方今平城之地。四禽叶圖。三山作鎭。龜筮並從。宜建都邑。…
『日本書紀』708年2月15日条
配布パンフレットの訳を転写しますね。
方(まさ)に今、平城の地、四禽図(しきんと)に叶い、三山鎮(ちん)を作(な)す。
亀筮(きぜい) 並びに従う。宜(よろ)しく都邑(とゆう)を建つべし。
平城の地は、東西南北の守護神(四神)に守られ、三方山々に囲まれた縁起のよい
土地である。占いに従ったものだ。さあ共にいい都づくりをしよう!
復路、来た道を再度行進して戻り、行列が終了です!
11:00開始で儀式終了が13:00の予定でしたが、12:00ころに終了してしまいました。
隣の慣れていそうな方によると、例年行列はかなりゆっくり、止まっては進みを繰り返す
とのことでしたが、今年はそうでもないように思えました。
次から次と登場し、写真を撮るのが大変なくらい。速度が上がったのでしょうか。
あと、伎楽隊や百官の数が例年より少ないという話も聞き、全体的に人数が少なかった
のかもしれません(遣唐使節団が加わっているのですが)。
いずれにせよ、とても華やかな行列でした
☆天平祭全体に関しては こちらの体験記へ(衣装体験など)☆
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