瀬戸内寂聴『月の輪草子』
90歳の作者が90歳の清少納言を描く迫力
2012年講談社刊行のこの小説の特色は、あの瀬戸内寂聴が90歳を迎えた身で、
清少納言90歳の独白を描いているという点に尽きるでしょう。
▲写真は、2015年の文庫版(講談社文庫)
出来事がほぼ回想で綴られることになるゆえに、時系列がわかりづらい、
もしくは説明的な印象、と、正直言ってあまり成功している感じがしません。
ただ、冒頭にも述べた通り、90歳の作者が90歳の清少納言を描くのですから、
迫力があります。「90歳の清少納言」という設定だけでも面白みはありますが、
若い作家さんでは中身は本当に退屈な作品になったかもしれません。
枕草子、大鏡、蜻蛉日記……
回想の源は、『枕草子』のほか『大鏡』や『蜻蛉日記』などの古典作品です。
清少納言(および女主人の中宮定子)の小説に退屈な印象が多い(私の少ない経験より)
のは、エピソード羅列になりがちだからかもしれません。
裏を返せば、清少納言の『枕草子』には魅力的なエピソードが多いのです。
この小説の場合、あとがきで作者自身が「清少納言が私に乗り憑ってくれたのか、
思いがけない場面に案内されることが多くなり」と書いているように、
中関白家の藤原定子への称賛や数々の思い出はもちろんのこと、
定子の父や兄の藤原道隆・伊周らの話にとどまらず、実家の父(清原元輔)の話、
道隆の父藤原兼家や花山天皇の話にまで回想は及びます。
楽しくもあり、混乱するところでもあります。
ただ、このとりとめのなさが、90歳のリアルな回想にも思えます。
時折、清少納言の心を藉りて、作者が人生訓を伝えているようにも感じます。
永遠のライバル・清少納言と紫式部
最近、小迎裕美子のエッセイ漫画『本日もいとをかし!!』『人生はあはれなり…』を
読み比べたりして(過去記事「いとをかし vs. あはれなり」参照)、定番ですが
清少納言と紫式部の複雑な関係が気になります☆
この小説でももちろん、紫式部に触れる部分があります。
もちろん清少納言の一方的な回想小説なので当然ですが、紫式部は嫌な女です
紫式部に関しては清少納言がいい人すぎる……
しかしこの小説には紫式部の“内面”は描きようがないから、いいところは見えません。
案外、お互いに同じような立場の女として、思いやりの気持ちはあったのかも。
と想像の余地は残されています。
■書誌データ■
文庫本200頁に満たない短い小説です。90歳といっても抹香臭い感じはありませんよ。
そこは瀬戸内寂聴ですから!
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