◆2016/5/20

 蘇我馬子歿す(626年5月20日)


 蘇我馬子の姉妹、娘たち~華麗なる閨閥

 そがのうまこ。別名島大臣。稲目の子、蝦夷の父。
 敏達元年(572)に大臣(おおおみ)となって以来、続く用明・崇峻・推古朝と
 終生大臣をつとめました。

 崇仏につとめ、排仏派とされる物部守屋らを滅ぼし、実権を握ります。
 対立した崇峻天皇を殺させ、姪の推古天皇を擁立、皇太子の厩戸皇子
 (用明天皇皇子、聖徳太子)とともに政治をとりました。推古34年歿す。

 馬子2
 ▲館尾冽・画『週刊 新マンガ日本史 03』朝日新聞社、2010年


 本日は、馬子の姉妹の一部、推測される娘たちを見ていきましょう。


 馬子の姉妹・堅塩媛と小姉君は欽明天皇妃

 馬子の父・稲目の娘のうち、堅塩媛小姉君欽明天皇の妃となりました。
 堅塩媛は用明・推古天皇らを生み、小姉君は崇峻天皇らを生みました。

 ただ、小姉君の子は崇峻のほかに穴穂部皇子も馬子に殺されており、
 小姉君は異母姉妹だったのかも? 『古事記』では馬子と堅塩媛のおばとなっています。


 馬子の娘たちも天皇や天皇候補者のもとへ

 厩戸皇子は、堅塩媛の子・用明天皇と小姉君の子・穴穂部間人皇女のあいだに生まれ、
 蘇我氏の血を色濃く受け継いだ存在でした。
 馬子はその厩戸に刀自古娘を嫁がせています。

 また、崇峻天皇のもとに河上娘がいれられたとされています。
 さらに、推古天皇のあとを継いだ舒明天皇のもとに、法提郎女が嫁いでおり、
 のちに異母弟・中大兄皇子(天智天皇)に殺されることになる古人大兄皇子が
 生まれています。当然ながら、古人は蘇我氏の支持を受けていました。

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