◆古典・和歌・万葉集◆額田王

 額田王の「三輪山」の歌~万葉集


 三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや

 額田王『万葉集』巻1-18

 【訳】三輪山をこのように隠すのか。せめて雲だけでも優しい心であってほしい。
  隠すべきではない。

 

 詞書
 山上憶良によると、この歌は“都を近江に遷すときに三輪山をみそなわす御歌である”

  ※参考文献※中西進『万葉集 全訳注原文付』(一)講談社、1978年


 天智天皇6年(667)3月の近江遷都とわかります。

 “御歌”ですが、天智天皇本人に代わって額田王が詠んだと思われます。
 この近江遷都により、都がはじめて飛鳥周辺を離れることになります。

 華々しくあるべき遷都の時に、飛鳥の象徴“三輪山恋し”の歌を詠む額田王とは

 額田王略歴

 ぬかたのおおきみ(ひめみこ)。額田女王、額田部姫王とも。
 鏡王の娘、また『万葉集』に登場する鏡女王の妹ともいうが系譜は不明。
 推古朝(~628年)の末ころの生まれとされる。

 10代で皇極天皇に親しく仕え、やがて皇極天皇の息子・大海人皇子(のちの天武天皇)
 とのあいだに十市皇女を生む(のちの大友皇子の妃)。

 皇極の重祚である斉明天皇のもとに再び仕え、宮廷歌人的な活躍を見せ始める。
 もっとも顕著な活躍が見られるのがのが斉明の子で大海人の兄・天智天皇の時代である。

 40代に入ったであろう額田と兄弟との三角関係も想像されたが、額田は天智とのあいだには
 子もなく嬪のひとりでもないため、その関係はわからない。ちなみに大海人の夫人としても
 数えられてはいない。巫女的な性格を持った女性ともいわれることがある。

 壬申の乱がおこると、大津で天智天皇の喪葬に奉仕していた額田は、勝利した天武方の敵と
 なってしまった。平定後飛鳥に戻ったあとは、宮廷での活躍は見られない。

  [参考文献]
  梶川信行『額田王と初期万葉歌人』笠間書院、2012年
  坂本太郎他監修『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、1990年
  宇治谷猛『全現代語訳 日本書紀 下』講談社、1988年 ほか


 額田王イメージイラスト

 額田下描き
 昨夜描いた、まだ下描きです。一般的なイメージとはちょっとちがうかもしれません。
 絵解きは完成後にお届けします

  ☆後日完成品イラスト「額田王」~色着けたらこんなんなりました。服装解説付き。


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