西野山古墓:『英雄たちの選択』坂上田村麻呂の補足
田村麻呂が纏った? 副葬品 「金装大刀」「金銀平脱双鳳文鏡」
先日の記事*『英雄たちの選択』坂上田村麻呂*で書き切れなかった補足です。
番組の最後に、京都山科の西野山古墓の話題が採り上げられていました。
▲『英雄たちの選択』より
今回の補足では、以下をお届けしたいと思います。
・西野山古墓の被葬者特定について
・副葬品を国宝展(2014・東博)で拝見した感想
坂上田村麻呂墓の特定
西野山古墓は大正時代(1919年)に調査され、上記の副葬品も出土し、その時期は
8世紀後期から9世紀前期と見られましたが、被葬者の特定にはいたりませんでした。
ところが2007年、京都大学・吉川真司准教授(当時)の文献調査により、
被葬者が坂上田村麻呂である可能性が極めて高い
ことがわかったそうです。(田村麻呂の没年は811年で年代的にも一致しています)
田村麻呂創建の京都・清水寺の縁起に引用されている「太政官符」表題部には、
田村麻呂に墓所として与えられた土地名が記されていますが、残されていた
古代の条里地図と現代地図を照合した結果、西野山古墓が含まれていたのです。
古墓は、東国へつながる古道沿いにあり、墓から西へ下ると平安京羅城門へ出ます。
番組では、蝦夷を討った田村麻呂が都へ凱旋するときこの道を通ったと言っていました。
また、田村麻呂の墓を都の東の入口に据えることで守り神にしたのでは、と
吉川准教授(当時)は推測されていました。
番組でも、田村麻呂は甲冑を着けて都の東に立ったまま埋葬された、と紹介されました。
東博・日本国宝展で見た「金装大刀残欠」「金銀平脱双鳳文鏡」
2014年、東京国立博物館で開催されていた「日本国宝展」へ行きました。
私はそこで初めてこれらの国宝を拝見しております
正倉院宝物のほうが目当てだったのですが、見終わって最も印象に残ったのが、
坂上田村麻呂が実際に佩いたかもしれない、この 金の飾りを纏った太刀 でした。
年月を経ても金は美しくよみがえり立派。「これを田村麻呂が……?」と思うと、
感動できるような品で、非常に思い出深いものです。
所蔵は京都大学総合博物館。
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にほんブ ログ村
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