◆小倉百人一首 歌・解釈・歌人・書道作品◆第9回
   41~45番(壬生忠見・清原元輔・藤原敦忠・藤原朝忠・藤原伊尹)

  * * *
 藤原定家が小倉山荘で撰んだという「小倉百人一首」。

 かるたとして、歌の基本学習として、かな書道入門として、
 さまざまに親しまれています。

 飛鳥時代の天智天皇からはじまり鎌倉時代の順徳院まで、
 「百人一首」がほぼ時代順に並びます。

 天智天皇から5首ずつ、全20回で歌・解釈・歌人について、
 を書道作品入りでまとめました。
  (一番下にある各首の冒頭の番号をクリックしてください。
   リンク先は 姉ブログ「くじょう みやび日録」)
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 ◆第9回:41~45番

 40番と41番が有名な天徳歌合の逸話がある歌ですが、分断されてしまいました
 この名勝負については、姉ブログに記事にしてありますので、
 ご興味ある方はぜひどうぞ。 忍ぶれど&恋すてふ


 今回は、43・44・45番と「藤原なにがし」が続くので、そろそろこのあたりで
 小倉百人一首の前半から中盤過ぎ(平安中期ころまで)の「藤原氏」を整理して
 みようと思いました。血縁関係もややこしいので、系図にしてみます


 ☆赤数字は小倉百人一首の歌番号です
 ☆女性は名前に薄くピンク色をかけてあります
 ☆基経・伊勢・右近は便宜上2か所入っています
 ☆高階貴子は藤原氏ではありませんが掲載しています
 
 百首藤原氏系図


 拡大してもちょっと見づらい箇所があるかもしれません

 この系図のほか、母親関係を載せたらとんでもないこと(複雑)になります。
 とても無理です  が、作家の永井路子さんが仰っていたように興味深いです。


 ごちゃごちゃした血縁関係、少し整理できたでしょうか



 41番 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか
  壬生忠見  ※リンク先は41番との合併記事※

 42番  契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
  清原元輔

 43番 あひみての のちの心に くらぶれば 昔はおのを 思はざりけり
  権中納言敦忠

 44番  逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
 中納言朝忠

 45番 あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
  謙徳公


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