◆古典・水鏡◆第11回

 水鏡 2



 歴史物語『水鏡』、姉ブログで神武~宣化天皇まで読んできました。
 その続きの欽明天皇から読んでいます☆

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 前回までのあらすじ

 病床にあった天智天皇は沓だけを残してどこかへ消えてしまった。
 大海人皇子は、兄の天智天皇の生前、天皇の息子・大友皇子らに
 政治を任せると伝え、髪をおろして吉野へこもっていたが……

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 ■41代 天武天皇

 舒明天皇の第三皇子。母は斉明天皇。兄の天智天皇7年に東宮となる。


 +12月3日に天智天皇が亡くなられ、5日に息子の大友皇子が即位した。
  吉野の宮にこもっていた天武天皇(大海人皇子)を、疑った左右大臣が
  軍勢を率いて囲もうと計略していた。
 +計略は漏れてしまった。天智天皇陵をつくるといい人夫を徴発したが、
  みな武器を携え参集するようにとの命が下っていたのだった。
  近江から大和の要所に兵士を配置していると話す人もあった。
  大友皇子側の様子を、皇子の奥方である天武天皇の娘(十市皇女)が
  そっと手紙で知らせてきていた。
 +天武天皇は危険を察知し、息子たちを連れて東国へと徒歩で出発した。
  息子二人、后宮(のちの持統天皇)、家来約20人、女官約10人だったが
  次第に味方や馬、輿も増え、伊賀を経て伊勢へ入り、大神宮に参拝した。
 +7月6日より開戦して、所々で戦いのあった結果、大友皇子側は敗れ、
  皇子は山中で自殺し、26日に天武天皇の許へ首が届けられた。
 +右大臣処刑、左大臣流罪、その他処罰も多かった。
  反対に、勧賞もおこなわれた。
   皇子は、叔父で岳父の天皇に従わずつけあがった仏罰・神罰でしょう。

 ここまで壬申の乱の描写。開戦の日がちがっていたり多少異同はあるものの、
  ほぼ『日本書紀』のダイジェスト版である。


 +瑞祥による年号改め。
   足が三本の赤い雀の献上で「朱雀」、白い雉で「白鳳」。
 +初めて一切経を書かせた。
   川原寺で書写させた。
 +薬師寺を造られた。
   皇后の病気平癒祈願のため。
 +大安寺で法会を行う願い。
   天皇が不予となったが、大安寺での法会の御願を果たすため、
   決められた寿命であっても三年延ばしてほしい、と皆が祈り、
   天皇のご寿命を延ばすことができた。立派に供養を果たされた。
 +天文の運行が乱れ、隕星が雨のように降る。
 +赤い雉の献上により「朱鳥」と改元。
 戦乱の描写のあとは、改元や仏教関係の内容が続く。
  大安寺法会の話は「大安寺縁起」による。




 
 天武天皇治世の記事というよりは、その前夜である壬申の乱に多くの
 描写を割いている。『日本書紀』同様完全に天武天皇寄りの内容であるが、
 大友皇子が即位していたと明記しているのが面白い。
 天武天皇の死は描かれないが、「星の落つる事」はその前兆か。


  [参考文献]
  ・河北騰『水鏡全評釈』笠間書院、2011
  ・宇治谷孟『全現代語訳日本書紀』講談社、1988

  
 
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